北海道命名150年記念特集 旭川だってもうすぐ130年!

 今年は『北海道』と命名されてから150年の節目。これを記念したイベントが道内各地で開催され、大いに盛り上がっています。でも、知っていますか? 実は『旭川』も130年近くの歴史があるんです。そこで、この特集では『旭川』の誕生から現在までの主要なできごとをご紹介。知れば知るほど、この町をもっと好きになれるはず。

こちらからもご覧いただけます(デジタルブック)

明治時代

1869 開拓使設置、8月15日に蝦夷地が北海道と命名される/上川を石狩国上川郡とする
1877 上川郡最初の和人定住者・商人第1号、鈴木亀蔵が現亀吉町に雑貨商を営む
1882 開拓使廃止、札幌・函館・根室の3県と北海道事業管理局を設置(上川郡は札幌県に属する)
1885 岩村通俊・永山武四郎一行、上川に入り近文山で視察
1886 3県1局を廃止、北海道庁を設置
1889 大日本帝国憲法発布/永山武四郎長官、上川離宮の建設を内閣に進言/内閣総理大臣が上川郡に1都府を設け、離宮を置く旨を長官に指示
1890 上川郡に神居・旭川・永山の3村を設置/忠和~愛別間までの中央道路開削
1891 永山兵村に屯田兵が入る/旭川村駅逓開設/杉沢繁吉が雨紛西5号で水稲試作に成功(上川地方最初の米作)/私立永山東・永山西小学校開校
1892 旭川兵村に屯田兵が入る/鷹栖・神楽の2村を設置/上川郡初の酒造業を笠原喜八が始める
1893 忠別尋常小学校開校(上川郡初の公立小学校)/旭川郵便局開局
1894 日清戦争始まる(~1895)
1897 丸井今井旭川店開店
(2009年閉店)
1898 初代旭川駅完成/上川倉庫株式会社創立(上川地方初の株式会社)/東旭川村が設置される
1899 私立上川病院開業(上川地方初の病院)
1900 旭川村から旭川町に改称
1901 北海旭新聞創刊(上川地方最初の日刊新聞、1919年廃刊)/第七師団が移駐
1902 旭川地方気象台で氷点下41℃を観測(国内最低気温)
1904 日露戦争始まる(~1905)/初代旭橋完成
1906 上川馬車鉄道株式会社営業開始(~1918)
1909 北海道庁舎焼失
1877年(明治10年)

一番最初の住民!? 名前は住所にも!

鈴木亀蔵

 秋田県から移住した鈴木亀蔵は1877年、26歳の時に現在の石狩川と忠別川の合流地点に住居を構えた、上川地方最初の和人定住者といわれている。当初の目的はアイヌとの交易で、誠実な人柄だったことや、アイヌの女性を妻にしたことなどから、周囲からは『亀吉』の愛称で親しまれたそう。彼が住んだ地域は『亀吉島』と呼ばれ、現在もなお『亀吉』の名前が地名として残っている。


1885年(明治18年)

上川地方開拓の幕開け

岩村通俊らの上川視察を再現した図

 ロシアによる樺太・択捉島・利尻島の侵入を期に、幕府は北方警備の要所を決める調査を開始した。上川は「強風もなく、肥沃な大地で農作物の生育に最適」「北海道の交通の要になる」などの報告を受けて1885年、開拓使判官の岩村通俊は屯田兵本部長・永山武四郎を連れ、近文山山頂から上川盆地を視察した。上川の開拓の必要性を確信した岩村は翌年に道路の開削や農業試験場の設置を指示し、上川の歴史が始まった。


1889年(明治22年)

神楽岡には天皇が住むはずだった!?

左:岩村通俊 右:永山武四郎

 岩村通俊の後任となった永山武四郎は、主要都市としての上川開拓には本州から移民を誘導する必要性があると感じ、1889年、上川に北京(北の都)を置く意見書を内閣へ提出した。北京の名称は不適切と指摘を受け、天皇の住まわれる『離宮』と改めた後、政府は異例の速さで上川離宮の設置を決定。調査の結果、場所を現在の神楽岡に内定したが、札幌を初めとする地区からの猛反発があり、離宮の設置は実現しなかった。

大正時代

1913 2代目旭川駅完成
1914 第一次世界大戦始まる
(~1918)/旭川町が旭川区となる
1916 常磐公園開園
1918 旭川初の自家乗用車を歯科医が購入
1919 旭川監獄開庁(現旭川刑務所)
1922 旭川区が旭川市となる
1923 関東大震災発生/日本赤十字社北海道支部病院開院
1924 上川神社が神楽岡御料地内に遷宮、同頓宮を常磐公園千鳥ヶ島に造営/鷹栖村を東鷹栖・鷹栖・江丹別の3村に分割/市内バス運転開始/合同酒精株式会社設立
1926 師団通完成(1945年に平和通と改名)

昭和時代

1927 旭川電気軌道の電車運行開始
1929 第1回慰霊音楽大行進開催/旭川市街軌道の電車運行開始
1930 市立診療所開所(現市立旭川病院)
1932 NHK旭川放送局放送開始/サカエヤ百貨店創業(現マルカツ)/銀座通り完成
1934 大雪山が国立公園に指定される/招魂場が完成(現護國神社)/日本製鉄株式会社設立
1936 常盤ロータリー完成
1937 日中戦争始まる(~1939)
1939 二次世界大戦始まる(~1945)
1940 国策パルプ工業株式会社旭川工場操業開始(現日本製紙)
1944 道北バス株式会社創立
1945 旭川上空に米軍グラマン機来襲
1946 日本国憲法公布/旭川雪まつり開催(旭川冬まつりの元祖)/市立図書館開館
1950 旭川市で北海道開発大博覧会開催、40日間で入場者51万人
1951 旭川市立天文台開設(道内初の天文台)
1952 旧偕行社を利用し、市立郷土博物館開館(現彫刻美術館)
1953 旭橋上流にて国内初の人工降雪実験が行なわれる
1954 昭和天皇皇后来旭/永山・神楽に町制施行
1955 旭川市に神居・江丹別村を合併/神居古潭・嵐山地区を北海道自然博物園と命名
1957 旭川駅地下道完成
1958 東京タワー完成/旭川市庁舎完成/旭川丸井全館完成(地下1地上6階)/全国唱歌ラジオコンクールで啓明小学校・北星中学校が全国優勝
1960 3代目旭川駅完成/第1回旭川冬まつり開催
1961 上川支庁舎完成/旭川市に永山町を合併/旭川郵便局が市庁舎跡地に新築完成
1962 ブルーミントン市と姉妹都市宣言議決
1963 旭川市に東旭川町を合併/旭川市青少年科学館開館
1964 東京オリンピック開催/第1回北海道アイヌまつり開催/朝日新聞の懸賞小説に三浦綾子の『氷点』が当選
1966 旭川空港が開港
1967 旭川市旭山動物園が開園
1968 昭和天皇皇后来旭/旭川市に神楽町を合併
1969 平和通で歩行者天国実験を12日間実施
1970 旭川市の人口が30万人突破/旭川市出身力士の北の富士が横綱に
1972 札幌オリンピック開催/平和通買物公園がオープン/市内電車前線廃止
1981 第1回旭川国際バーサースキー大会開催(現バーサーロペット・ジャパン)
1982 道立旭川美術館開館
1984 スタルヒン球場開場


1927(昭和2年)

旭川にも路面電車が走っていた!

1900年代中期の路面電車

 1918年までは旭川駅から現在の護國神社あたりまで、線路上の車を馬が引く馬鉄が走っていたが、これに変わって1927年に路面電車が登場。市内はもちろん、東川まで開通しており、徒歩で4時間の道のりがわずか40分に短縮されたことは大いに喜ばれた。利用者が述べ1000万人を越え、農産物や日用品の輸送にも力を発揮した電車だったが、自動車の普及に押されて1972年にはすべての運行が廃止された。


1929(昭和4年)

音楽のまち旭川を象徴する音楽大行進

1900年代中期の音楽大行進

 開催のきっかけは、当時の北海タイムスの旭川支局長が東京で軍の音楽隊パレードを見て感激したことだった。支局長はその後、楽器の指導者としても活動していた楽器店を営む知人らの協力を得て、1929年に『慰霊音楽大行進』という名称で第1回を開催。10団体・約200名が参加した。戦後、軍事色が薄れてからは『北海道音楽大行進』に改名され、現在では約100団体が参加する北海道有数の音楽イベントになっている。


1946(昭和21年)

もともとの名前は旭川”雪”まつり

初開催には名古屋城の大雪像が登場

 冬の風物詩『旭川冬まつり』。誕生の発端は、除雪後の雪の処理に困ったこと。当時の観光協会長が彫刻家 加藤顕清の助言で雪を芸術に利用できることに気付き、1946年に冬まつりの元祖となる『旭川雪まつり』を常磐公園で開催した。その後札幌市でも雪まつりが始まったことで、間違えを防ぐため1960年に現在の名称に変更。1987年には大雪像『ガリバー城』が世界最大の雪像としてギネス記録に認定された。


1967(昭和42年)

日本最北の動物園が誕生!

1978年の様子。当時はゾウがいた

 旭川市旭山動物園はまちづくりの一環として1967年に誕生。建設地の候補には神楽岡・嵐山・近文公園・鷹栖公園もあったが、調査を重ねた結果、緩やかな傾斜面がある旭山が選ばれた。北方特有の動物が多いことが特徴で、開園日には9000人もの客で賑わった。一時は存続が危ぶまれたものの、行動展示を軸に施設改修が進められ、2004年には日本一の月間入園者数を記録。今では北海道を代表する観光スポットとなった。


1972(昭和47年)

道路から公園に変身した平和通買物公園

オープン時の買物公園4条付近の様子

 1日の交通量が15000台だった平和通を、安心して買い物を楽しめる空間にしようと歩行者天国の構想が始まった。オープン前の1969年には車を締め出す社会実験が行なわれ、混乱もなく、12日間で約80万人が訪れた。その後、1972年に平和通買物公園としてオープンし、今もなお市民の憩いの場として愛されている。公園の象徴だった『手の噴水』は、現在は8条付近に。

平成時代

1995 阪神淡路大震災発生
1996 大雪地ビール館開館
1998 三浦綾子記念文学館開館
1999 旭川環状線(道道90号)全線開通
2004 旭川市旭山動物園の月間入園者数が日本一に
2005 旭川市科学館『サイパル』開館
2009 旭川赤十字病院で最北のドクターヘリ運航開始
2010 第1回北の恵み 食べマルシェ開催/旭川市シンボルキャラクター あさっぴー誕生
2011 東日本大震災発生/4代目旭川駅完成
2014 北彩都あさひかわ完成
2015 イオンモール旭川駅前開店
2016 西武旭川店閉店


2010(平成22年)

北海道屈指の食の祭典 食べマルシェ!

初回の様子。3日間で約80万人が訪れた

 開村120年、旭川市となってから88年の米寿を迎えることを記念して始まった『食』の一大イベント。旭川市及び道北各地域の畜・農・海産物や、様々な交流がある国内外の味覚・名産品が一堂に集まるほか、豪華ゲストによるステージショーや豊作を祝う地域芸能の披露などを楽しめる。年々規模が大きくなり、2014年の開催では100万人が訪れた。今年は約300店が参加する予定。

/旭川市中央図書館所蔵

旭川駅舎の変遷


初代駅舎/1898年~1913年

2代目駅舎/1913年~1960年

3代目駅舎/1960年~2011年

4代目駅舎/2011年~

知ってる? 姿が変わった常盤ロータリー


1936年の完成直後の様子。牛朱別川だったこの地を埋め立て、近くにあった6本の道路を安全に交差させる目的でこの形に。中心には路面電車の通る線路があった

1950年の様子。この年、常磐公園などを会場に『北海道開発大博覧会』が開催。イベントのシンボルとしてロータリーの中心に『平和塔』が建てられた

1960年の様子。この数ヵ月前に『平和塔』は市立病院敷地内に移転され、1970年には解体されている。路面電車の線路もなくなり、ほぼ現在の姿に

2018年撮影。『ロータリーシンボルタワー』は1985年に設置された。2010年以降は、冬になるとイルミネーションが飾られ、旭川の夜を美しく彩っている

参考文献
『旭川80年のあゆみ』(旭川市総務部市史編集事務局/旭川市/1970年)
『旭川自分史ノート』(平間順一ほか/あいわプリント/2010年)
『旭川 街並み今・昔』(北海道新聞社/2002年)
『旭川魅力発見伝』(旭川大雪観光文化検定編集委員会/旭川大雪観光文化検定運営協議会/2009年)
『(雑稿)旭川’小史点話』(玉井正利/2005年)
『写真が語る旭川 ~明治から平成まで~』(北海道新聞社/2015年)
『知らなかった、こんな旭川』(NHK旭川放送局/中西出版/2013年)
『我が青春の街角へ 旭川 昭和ノスタルジー』(ぶらんとマガジン社/2016年)

旭川出身有名人

地元旭川が誇る著名人・有名人をご紹介します!

明石健志(プロ野球選手)、浅沼寿紀(元プロ野球選手)、あべ弘士(絵本作家)、いがらしゆみこ(漫画家)、井上靖(小説家/享年83)、上野巴恵(元柔道選手)、上野雅恵(元柔道選手)、上野順恵(元柔道選手)、奥山コーシン(放送作家)、音尾琢真(タレント)、北の富士勝昭(元力士)、旭大星託也(力士)、熊川哲也(バレエダンサー)、冴木杏奈(タレント)、佐々木倫子(漫画家)、品川徹(俳優)、島ひとみ(フリーアナウンサー)、小路幸也(小説家)、杉村太蔵(タレント)、高平慎士(元陸上選手)、玉置浩二(ミュージシャン)、とにかく明るい安村(お笑いタレント)、橋本奈々未(元乃木坂46メンバー)、藤田和日郎(漫画家)、星野伸之(元プロ野球選手)、成田郁久美(元バレーボール選手)、三浦綾子(作家/享年77)、宮澤篤司(ヴォーカリスト)、安廣一哉(格闘家)、山本むつみ(脚本家)、ラフ→チケット(タレント)

旭川を見守ってきた老舗たち

旭川市には100年以上の歴史を持つお店・施設があります。昔はどんな人が、どう働いていて、どのように店を守ってきたのか。そんな疑問を聞いてきました。

創始128年 永山神社

大正時代あたりに撮られた社殿。天照大神・大国主神に加え、1920年からは永山の開拓に尽力した永山武四郎を祀っている


旭川市中央図書館所蔵
住:旭川市永山4条18丁目2-13
☎:0166-48-1638
営:社務所開所/9:00~17:00
休:無休
P:あり(約30台)
始まりの経緯は?

5代目 太田覚さん(66歳)

 開拓のために移り住んできた屯田兵のうち5名が、小さな祠に天照大神・大国主神を祀ったことが始まりだと聞いています。日本各地から人が集まってきたので、言葉・文化の違いや、生活の不安を癒やすための心の拠り所だったのだと思います。ここから人の輪が広がり、自然とお祭りも開かれるようになったそうですよ。


神社の場所が変わったきっかけは?

 1912年までは現在のJR永山駅の裏に神社がありましたが、鉄道の線路が参道を横切るように設置されることが決まり、神社を移転することになったそうです。社殿を建てて間もなかったこともあり、建物を丸ごと丸太に乗せて転がすようにして移動したと聞いています。

大変だった時代は?

 第二次世界大戦後は厳しい日々が続いたようです。それまで神社は国の管理下にありましたが、戦後の混乱で神社の運営は神主が行なうことになったため、運営費を賄う必要がありました。お参りに来る人も少なく、時には神主自らが農家などへ働きに行って、費用を稼ぐということもあったそうです。

守っていきたいものは?

 人々の平安と、約130年にわたって支えられてきたこの神社を守ることが私の役目だと考えています。開拓のころから地域を見守ってきた神社を残し、市民に地域の歴史・伝統・文化を語り継ぐことで、ご先祖様方の大変な努力のうえに現在の生活があることを伝え続けていきます。

創始119年 穴口ふとん店

1962年まで使われていた創業当時の建物。これまで3回建て替えられ、2016年には新店舗を2軒隣に移設オープンした

住:旭川市1条通5丁目132-1
☎:0166-22-3676
営:9:00~18:00
休:無休
P:あり(10台)
創業の経緯は?

4代目 穴口順也さん(42歳)

 曽祖父の金二は富山県から来旭した当初、家庭常備薬の販売や金融業など幅広く事業を手掛けていたそうです。ですが、旭川の冬は想像以上に厳しく、人々が囲炉裏と夜具で暖をとっている姿を見て、綿布団の重要性にいち早く気付きました。これをきっかけに綿布団専門店に商売替えしたと聞いています。


昔はどのような仕事をしていたのですか?

 いわゆる布団のオーダーメイドが中心だったそうです。布団の生地や綿の種類・量など、お客様の要望に沿って手作りしたので、評判も良かったようですね。当時は綿が高価で頻繁に買い替えられなかったため、古く固くなった綿を再生してふんわりさせる「打ち直し」も重要な仕事でした。

大変だった時代は?

 1970年代に羽毛布団が登場し、それまでの主力商品だった綿の需要が頭打ちとなった頃です。私が生まれた1976年にはそれまでの『穴口わたふとん店』から、現在の『穴口ふとん店』に屋号を変えました。将来を見据え、今後は総合寝具店として歩んでいくという、先代の決意の表れだったのだと思います。

守っていきたいものは?

 創業当初からの「お客様のご要望に沿った最高の布団を提供し、長く大切に使ってほしい」という思いは変わりません。これからも日々進化する眠りの知識や技術を貪欲に取り入れ、お客様の睡眠環境の改善を通して「いい夢、いい眠り」を届けていきたいと思います。

創始111年 坂東商店

1955年ごろ、新年に撮影された初代の店の様子。現在まで同じ土地で人々の生活を支え続けてきた

住:旭川市大雪通6丁目
☎:0166-23-5841
営:9:00~20:00
休:日曜日
P:あり(2台)
創業の経緯は?

3代目 坂東博道さん(68歳)

 もともとは香川県で製糖を生業としていた一族でしたが、外国の安価な砂糖が輸入されるようになって経営が悪化して…。新天地で新しいことを始めようと旭川に移住したようです。祖母のタネは実業家の鈴木亀蔵さん一家と親しかったそうで、これが創業のきっかけだったのでしょう。


どんな商品を販売していたのですか?

 今は酒類が中心ですが、昔は生活用品全般や、販売許可が必要だった塩・たばこを取り扱っていたそうです。酒・塩・味噌・油は樽・缶・袋などで仕入れて、量り売りしていました。そのほか竹ぼうき・ざるなどの荒物、包丁・鍋などの金物、さらには土管までも売っていたと聞いています。

大変だった時代は?

 1990年ごろのバブルの崩壊からは苦労が多くなりましたね。景気が悪化して、コンビニやスーパーも増えていき、若いお客様が減ってしまいました。それでも高価な日本酒や珍しいウイスキーといった個人店だから扱える商品もあるので、それを目当てに来てくれるお客様に支えられてきました。

守っていきたいものは?

 コツコツと地道に続けていく精神です。創業以来、事業の展開や店舗を増やすことはしてきませんでした。おそらく、店主自らが店に立ち続けることで、お客様が安心して買い物に通えるという考えがあったのではないでしょうか。今でも老舗だから信頼して来てくれるお客様も多く、これまでと同じように店を続けることが私の使命だと思っています。

創始109年 前川茶舗

1940年代の様子。109年にわたって人々の往来を眺めてきた店舗は現在、左半分が『喫茶店マルサ』となっている


旭川市中央図書館所蔵
住:旭川市5条通8丁目
☎:0166-23-2072
営:茶舗10:00~17:30
  カフェ9:00~18:00
 (土・日曜日、祝日/9:30~17:30)
  バー20:00~24:00
休:不定休(バーは水曜日定休)
P:なし
創業の経緯は?

5代目 前川俊哉さん(30歳)

 創業者は佐々木源吾さんという方で、『マルサ旭園』として始めた店を曽祖父の岩次郎が譲り受けたそうです。その理由はわかりませんが、お茶が現在より一般的に飲まれていた時代で、将来性を見込んで始めたのではないかと思います。当初の一番のお得意様は第七師団の方々だったそうですよ。


昔はどのような仕事をしていたのですか?

 実は旭川で最初にコーヒー豆を取り扱った店で、1925年ごろから販売しているそうです。圧倒的に茶葉の方が売れたようですが、日本でコーヒーが普及し始めた1961年には、販売から得た知識をいかして喫茶店の営業を始めています。お茶の人気が再燃した1990年代からはお客様が持参したボトルに給茶するサービスも開始しました。

大変だった時代は?

 まさに今が大変で、ペットボトル飲料などで手軽にお茶を味わえるようになったからか、旭川でも急須などの茶器を持たない家庭が増えているんです。これを受け、作りたてのお茶のおいしさ・奥深さを伝える第一弾として、昨年11月に道具がなくても作りたての味が楽しめる抹茶を開発しました。

守っていきたいものは?

 この店は時代に合わせてお茶の種類を増やしたり、色々なサービスを始めたりしてきました。これまで通りその時々の流行を読み、そのうえでこれからは新しい風を起こすような商品・企画の展開をしていきたいです。最終的には旭川を元気付けられるような店にしていきたいと考えています。

関連記事

  1. ヴォレアス北海道

  2. 野菜をごちそうに。道産贅沢ドレッシング

  3. 昔も今も、この場所で。 〜言葉にできない想いを乗せて〜

  4. asatan人気コーナーパクリ企画 ○○○を体験して見ました!! Hond…

  5. 本誌連動企画店紹介

  6. Soup Topping Spicy 選べる楽しさ♪ スープカレー

  7. 求ム人! 特別編 Uターン就職のススメ

  8. シーズン 到来!みんなで楽しむバーベキュー

  9. 雨の日特集

カテゴリー

人気の記事

PAGE TOP