2026年06月30日
旭川に住む美術品・骨董品マニアの私が、有名作家や作品を世に広めるため、詳しくご紹介します!また、お宝をお持ちの方におすすめの買取り店もご紹介。
並河靖之(なみかわ やすゆき、1845年〜1927年)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本を代表する最高峰の七宝焼(しっぽうやき)職人です。
同じく京都で活躍した泥七宝の巨匠・濤川惣助(なみかわ そうすけ)と共に「二人のナミカワ」と称され、明治の工芸界を牽引しました。1896年(明治29年)には、優れた芸術家に贈られる最高名誉職「帝室技芸員(ていしつぎげいいん)」にも任命されています。
並河靖之の代名詞が有線七宝(ゆうせんしっぽう)です。 これは、金属の素地(ベース)の上に、まるで髪の毛のように細い純銀の線をピンセットで貼り付け、その隙間に様々な色のガラス質の釉薬(ゆうやく)を差して焼き上げる技法です。 靖之の作品は、その線の細さと正確さが尋常ではなく、蝶の羽の模様や植物のつるが、ミリ単位以下の驚異的な緻密さで表現されています。
彼の作品をひと目見て強く印象付けるのが、深く、吸い込まれるような美しい「黒」の背景です。 それまでの七宝の黒は濁りやすかったのですが、靖之は研究を重ねて、ガラスのように透明感がありつつも漆黒の深みを持つ「黒色透明釉(こくしょくとうめいゆう)」の開発に成功しました。この黒があるからこそ、主役である花鳥風月や四季の草花が、鮮やかに浮かび上がります。
元々、靖之は家柄のある武士(粟田宮家の令達親王に仕える家系)の出身でした。そのためか、作品のデザインには京都の伝統的な品格と、洗練された「雅」なセンスが息づいています。海外の万国博覧会でも何度も金賞を受賞し、ジャポニスム(日本趣味)に沸くヨーロッパのコレクターたちを文字通り熱狂させました。
並河靖之七宝記念館は京都市東山区(三条・粟田口近く)にあり、彼の工房兼邸宅だった建物が「並河靖之七宝記念館」として公開されています。美しい庭園(名造園家・小川治兵衛の作)を眺めながら、彼が実際に使っていた道具や、息をのむほど美しい作品を間近で見ることができます。
明治の「神の手」とも呼ばれる彼の作品は、今見ても全く色褪せないモダンさと美しさを持っています。もし京都に行かれる機会があれば、記念館は本当におすすめのスポットです。
濤川惣助(なみかわ そうすけ、1847年〜1910年)は、並河靖之とともに明治の七宝界を二分したもう一人の天才七宝焼職人です。
京都を拠点に細密な「有線七宝」を極めた並河靖之に対し、惣助は東京を拠点とし、まったく異なるアプローチで世界を驚かせました。靖之と同じ1896年(明治29年)に「帝室技芸員」に任命されています。
彼の代名詞であり、最大の発明が「無線七宝(むせんしっぽう)」という技法です。
従来の七宝焼は、金属の線(植線)で輪郭を作り、その中に色を流し込むため、どうしても「カチッとした輪郭線」が残ります。 しかし惣助は、「日本画のような、なめらかなグラデーションやボカシを七宝で表現したい」と考えました。
そこで編み出したのが無線七宝です。焼き上げる前に輪郭の金属線をあえて抜き取ったり、最初から線を使わずに釉薬を配置したりすることで、色と色が自然に溶け合うような美しいボカシを表現することに成功しました。
彼の技術の集大成とも言えるのが、現在の迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)の「花鳥の間」を飾る32枚の七宝壁画です。 当時の天才日本画家・荒木探令の下絵を元に、惣助が無線七宝で制作しました。 四季折々の花や鳥が、まるで上質な絹本に水彩で描かれたかのように瑞々しく表現されており、国賓を迎える最高峰の空間を今も彩っています。
並河靖之の作品が「超絶技巧の極み」として目を凝らして見たくなる美しさなら、濤川惣助の作品は「これが本当にガラスと金属でできているのか」と、その柔らかさにため息が出るような美しさです。
迎賓館の一般公開や、東京国立博物館などで彼の作品を見る機会があれば、ぜひ「金属の線が見えない不思議さ」に注目してみてください。
林小伝治(はやし こでんじ、1831年〜1911年)は、明治時代に名古屋(尾張)を日本の七宝焼の一大生産拠点へと押し上げた、伝説的な七宝家であり実業家です。
京都の並河靖之、東京の濤川惣助が「芸術(帝室技芸員)」の頂点に立ったのに対し、林小伝治は「技術と産業」の頂点に立ち、尾張七宝の黄金期を築き上げました。
明治時代の日本の重要な輸出産業だった七宝焼ですが、その大半(最盛期には日本の七宝輸出額の約7割)を占めていたのが名古屋一帯で作られる「尾張七宝」でした。
小伝治は、ただの職人にとどまらず、優れた起業家・プロデューサーでもありました。自身の工房で職人を育成し、徹底した品質管理と洗練されたデザインで、万国博覧会などで数々の賞を受賞。海外のコレクターから絶大な支持を集めました。
並河靖之の「黒色透明釉」が有名ですが、実は林小伝治も非常に深く美しい「漆黒」の背景を得意としていました。
小伝治の作品は、漆黒の背景の中に、これまた極細の銀線(有線七宝)を用いて、桜や牡丹、藤、そして生き生きとした鳥たちをドラマチックに描き出すのが特徴です。その緻密さは、京都の並河靖之と比べても引けを取らないほど卓越していました。
明治初期、七宝の技術は各工房の「門外不出の秘密」とされるのが普通でした。しかし小伝治は、「尾張全体の技術が上がらなければ、世界とは戦えない」と考え、自ら苦労して開発した釉薬の処方や技術を、周囲の職人たちに惜しみなく公開・伝授しました。このオープンな姿勢があったからこそ、名古屋は世界的な七宝の街へと発展したのです。
現在でも、愛知県あま市にある「七宝焼アートヴィレッジ」などで、林小伝治をはじめとする尾張七宝の名作を見ることができます。並河や濤川とはまた一味違う、力強くも華麗な美しさが魅力です。
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