2020年11月19日
旭川市は今年で開村130年。 様々な苦境を乗り越えてきた先人たちの努力を4回にわたって紹介します。 3回目は、かつて「北海の灘」といわれた 旭川の酒造りの歴史を振り返ります。
旭川の酒造りは、明治24年に屯田兵が永山地区に入植し、それに追従した札幌の酒造業・笠原喜助が酒蔵地としての将来性に着目して笠原酒造店を創業したのが発端とされています。
旭川には、大雪山から流れる豊かな伏流水と、開村とともに始まった米作り、内陸に位置し寒暖差の激しい気候という酒造りに適した環境がありました。さらに、明治31年に滝川から旭川までの鉄道が開通し、その翌年から第七師団が旭川に移駐すると、物流が発達し、人口は増え、地域は急速に発展していきます。
こうした環境と地域の発展に伴い、酒造業が相次いで創業。山崎酒造(現在の男山)が札幌から移転し、小檜山酒造店(現在の髙砂酒造)や日本酒精製造(現在の合同酒精)が創業したのもこの頃です。
明治33年には上川酒造組合を設立。技術向上や販路拡大に努め、産地として成長していきました。
酒造りの先進地では、原料に高価な他府県産米を使用する酒造業者が多い中、当時の旭川では費用を抑えるため、酒造りの原料としては、まだ低品質であった地米を作る使用していました。
醸造技術の未熟さも相まって、明治44年に開催された「北海道清酒品評会」で入賞した酒は、わずか数点に留まり、惨敗に終わりました。
危機感を覚えた組合は、杜氏(酒造りを管理する責任者)による技術交流や、それぞれの酒蔵を公開する「蔵まわり」などに一層力を入れ、互いに切磋琢磨しながら技術を磨いていきました。
さらに、仕込みを杉桶からほうろうタンクに切り替え、高性能の洗米機を導入した他、農家と一緒に酒造りに重要な原料米を改良しました。
大正に入ると、酒造業者はさらに増え、旭川の酒造業界は黄金期を迎えます。大正10年頃には、旭川の酒が北海道の総生産量の約25%を占めて、道内最大の醸造地として名を馳せ、地域の発展を牽引しました。
品質向上の研鑽も続けられ、昭和元年の「全国酒類品評会」で小檜山酒造店の「旭髙砂」が北海道初の1等を受賞。翌年以降も旭川の酒は数々の品評会で優秀な成績を収め、全国から高い評価を受けるようになりました。
こうして多産多売から高品質の酒の安定供給へと転換し、確かな実力を付けていったのです。
第2次世界大戦が勃発すると、政府による様々な統制が行われました。
企業整備令によって、昭和19年には市内の酒造業者が一元化されることとなり、4つの工場へ再編成された旭川酒類工業が設立されました。しかし、原料米など酒造りに必要な物資の使用が制限され、4つの工場のうち、操業できたのはわずか1つ。酒の生産量は大幅に減少しました。
戦争が終わると、山崎酒造が昭和23年にいち早く操業を再開。他の酒造業者も旭川酒類工業から独立し、次々に酒造りを再開しました。
昭和28年には、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律に基づき、旭川小売酒販組合が設立。
昭和33年には、永山町を含む市内で操業する酒造業者は10を数え、戦後最大となりました。また、昭和35年には、旭川の全酒造業者が全国の品評会で優秀賞を獲得するという輝かしい成績を収めました。
一方、時代の変化とともに、消費者の生活や嗜好は洋風化していきました。
全国でビールや洋酒の消費量が大幅に増え、日本酒の人気は低迷するようになりました。
旭川も例外ではなく、昭和後期にかけて多くの酒造業者が廃業していきました。
地酒の魅力を伝える活動の他に、市内の高校等を訪問し、飲酒による影響を指導する教室を開催するなど20歳未満への飲酒防止の取組みも進めています。マナーや節度を守って、楽しくお酒を味わってもらいたいです。
厳しい状況の中でも、明治から続く酒造りの歴史を絶やすまいと、各社が高品質の酒を生み出す努力を続けています。
さらに、平成8年には、北海道産の安心で安全な農産物を原料にしたビールを造りたいという思いから、地ビール工場も誕生。現在市内には、3つの蔵元と1つの地ビール工場がそれぞれの個性を生かした酒造りに取り組んでいます。
前身は明治20年に札幌で創業し、同32年に旭川に移転した山崎酒造。
昭和43年、江戸幕府の官用酒「男山」を「木綿屋」から正統継承。同年、本蔵と酒造りの歴史を紹介する「酒造り資料舘」を開設
杜氏・製造部長 北村秀文さん
男山は、独自路線で海外市場を開拓。総出荷量の約15%が国外で飲まれています。きりっとした淡麗辛口の味が特徴の男山の酒は、海外でも人気を博し、海外の酒類コンクールでは昭和52年から44年連続で金賞を受賞しています。
また、飲みやすいスパークリングの清酒を発売するなど、消費者の要望にも応じています。
酒造りを指揮する北村秀文さんは「北海道の豊かな食と一緒に味わう酒を目指し、細やかな管理の下で造っています。地元のお酒をもっと楽しんでほしい」と話します。
「雪美月 純米大吟醸」
やや甘口で、吟醸香が口に広がる
原点は、明治32年に旭川で4番目に創業した小檜山酒造店。
同42年に建設され、製造から販売まで行われていた酒蔵は、現在、当時の姿のまま直売所になっており、限定酒や酒粕を使った食品等を販売
代表取締役社長 石倉直幸さん
髙砂酒造は、北海道産米を使用し、旭川の厳寒多雪を生かした酒造りが特徴。
平成9年から、新酒の入ったタンクを雪で覆って貯蔵熟成させる「雪中貯蔵」を実施。
熟成が穏やかに進み、まろやかでうま味のある味に仕上がります。また、地元企業と協力し、栄養豊富な酒粕を使った商品開発にも取り組んでいます。
代表取締役社長の石倉直幸さんは「支えてくれる地元の方への恩返しの気持ちも込めて、市内の農家が熱心に作った酒米で、杜氏が自信を持って造っています。ぜひ飲んでみて」と話します。
「純米吟醸 国士無双」
柑橘系の香りとすっきりした飲み口が特徴。今年で生誕45年
明治33年創業の日本酒精製造、
後の神谷酒造旭川工場でアルコール製造を開始し、大正13年に道内の焼酎製造業4社が合併して、合同酒精が誕生。
大正3年建築の旧蒸留棟は、近代化産業遺産に認定
旭川工場工場長 水口哲司さん
合同酒精は、原料に酒造好適米の吟風や彗星など全て北海道産米を使用。そして一番の特徴は、酒造りを機械化し、通年醸造している点です。
酒造りの多くは杜氏が五感で管理しますが、合同酒精では季節にかかわらず味を均一に保ち安定して製造するため、温度や湿度を数値化して管理。
工場長の水口哲司さんは「皆さんに愛される酒を造るため、試行錯誤を重ねて機械化を進めました。『大吟醸大雪乃蔵 鳳雪』は全国新酒鑑評会で3年連続金賞を受賞しています。たくさんの方に飲んでもらいたい」と自信を語ります。
「大吟醸 大雪乃蔵 鳳雪」
酒造好適米の彗星を使用し、洗練された香りときれが特徴
旭川駅の近くに建ち並ぶ「蔵囲夢」は、明治30年代に穀物倉庫として建設。
長く使用されていた倉庫群で、国の登録文化財となっており、平成8年、その1棟を改築して大雪地ビール館が誕生
支配人 森山智貴さん
大雪地ビールは、大雪山の伏流水や、食の安心安全、地産地消にこだわり、原料には北海道産の小麦等を使用。
風味の異なる5種類のビールの他、季節に合った原料のビールも製造しています。また、新型コロナウイルスの影響で落ち込む人々やまちを元気づけたいと、ラベルにアマビエをデザインしたビールも発売。
支配人の森山智貴さんは「地ビールの魅力は多種多様であること。喉越しだけでなく、色や香りも楽しんでほしい。幸せな気持ちになれるビールを目指しています」と話します。
「大雪ピルスナー・あまびえラベル」
雑味がなく飲みやすい味が特徴
酒造りには欠かせない米。
おいしい酒を造ろうと酒造業者と農家が協力して酒米作りにも取り組み、吟風や彗星などの酒造好適米が生まれています。また、地酒の魅力を知ってもらおうと、平成22年に「第1回あさひかわ地酒フェア」を開催。
さらに同25年には、地酒産業と文化を継承し、地酒を通して旭川の活性化を目指す「旭川市地酒の普及の促進に関する条例」を制定。
官民を挙げて、地酒の魅力を広める取組みを進めています。
開村とともに始まり、明治から令和という時代の波の影響を受けながらも、先人たちのたゆまぬ努力で発展してきた旭川の酒造り。
受け継がれてきた技術はさらに磨かれ、様々な酒類コンクールで受賞を重ねるなど、高品質な旭川の酒は、国内にとどまらず世界中で親しまれています。
この機会に旭川の酒の歴史に思いを馳せ、その魅力を噛み締めながら地酒で乾杯しませんか。
レシピ提供:髙砂酒造
【材料】
●甘酒170㎖
●牛乳100㎖
●湯(80℃以上)50㎖
●ゼラチン5g
【作り方】
①ボールにゼラチンと湯を入れて混ぜる
②①に甘酒と牛乳を入れて、よく混ぜる
③容器に移して冷蔵庫で冷やす
④お好みで、きなこや白玉団子、餡を加える
この記事のキュレーター
酒の原料となる麴を造る作業