2021年05月02日
旭川出身の作家、といえば誰を思い浮かべますか? 三浦綾子、井上靖…など一度は聞いたことのある名前が上がるでしょう。 しかしなかには作者の名前は聞いたことはあれど、その人の描いた作品まではよく知らない…という方もいるのではないでしょうか。 そこで、旭川ゆかりの小説家3名を、それぞれの代表作と合わせて紹介していきたいと思います。
新潮文庫 猟銃・闘牛 井上靖 著
■ジャンル/フィクション 恋愛
■筆者/井上靖
■出版/新潮社
■発売日/1950年12月4日
詩人である語り手、「私」は友人に依頼され機関紙「猟銃」に一篇の詩を掲載する。
「私」が詩を掲載したことも忘れかけていた頃、「私」あてに一通の手紙が届く。
その手紙は
「あなたの掲載した詩に感銘を受けた。突然で申し訳ないがここに私宛に届いた三通の手紙がある。焼き捨てようとした手紙だが、あなたにぜひお見せしたい。」
といった内容だった。
この作品は一人の男性へ宛てられた、3人の女性(不倫相手・男性の妻・不倫相手の娘)からの手紙という形式で進む恋愛心理小説となっています。
井上靖を有名にしたといっても過言ではない作品であり、第22回芥川龍之介賞を受賞しています。
■誕生/1907年5月6日
■没年/1991年1月29日
■出身/北海道旭川町(現・旭川市)
■その他代表作/『氷壁』『風林火山』など
(1907-1991)旭川市生れ。京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手掛け、1949(昭和24)年「闘牛」で芥川賞を受賞。1951年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。「天平の甍」での芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」での日本文学大賞(1969年)、「孔子」での野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章した。
井上靖は1907年5月6日、北海道上川郡旭川町(現旭川市)で生まれました。
軍医であった父の従軍によって一年ほどで北海道を離れますが、のちに随筆「幼き日のこと」では自身が5月生まれであることを絡めて、5月の旭川のうつくしさを語っています。
施設名 井上靖記念館
住所 〒070-0875 北海道旭川市春光5条7丁目
電話番号 0166-51-1188
営業時間 9:00~17:00
定休日 毎週月曜日
■ジャンル/フィクション
■筆者/三浦綾子
■出版/小学館
■発売日/1994年2月17日
舞台は北海道旭川、昭和初期から終戦へかけての激動の時代。
教育熱心な小学校教師である主人公、竜太は突然治安維持法違反の容疑で逮捕、勾留される。
昭和と戦争、教育と言論統制、そして人間と神とをテーマに書かれた傑作長編小説。
この小説は、1941年北海道で実際に起こった「北海道綴方教育連盟事件」という思想弾圧事件を元にして書かれています。
作中には上川神社などの旭川ゆかりのものがたくさん登場し、地元に住む人にとっては馴染み深い作品です。
■誕生/1922年4月25日
■没年/1999年10月12日
■出身/北海道旭川市
■その他代表作/『氷点』『潮狩峠』『泥流地帯』など
旭川出身の著名な小説家といえばまず、彼女の名前が上がるでしょう。
北海道旭川市に生まれ、『氷点』や『塩狩峠』など数多くの名作を残しました。
1998年6月13日には三浦綾子記念文学館という民営の記念館が開設され、今でも多くの人が訪れています。
施設名 三浦綾子記念文学館
住所 〒070-8007 北海道旭川市神楽7条8丁目2-15
電話番号 0166-69-2626
営業時間 9:00~17:00
定休日 サイトを参照
出典:ロールキャベツ
新潮文庫 燃えつきた地図 安部公房 著
■ジャンル/ミステリー サスペンス
■筆者/安倍公房
■出版/新潮社
■発売日/1980年1月29日
探偵である主人公「ぼく」はある日、ある男を探してほしいという依頼を持ちかけられる。
半年前に失踪した自分の夫を探してほしいというその依頼を受ける「ぼく」だったが、変に非協力的で曖昧な答えを返す依頼者(失踪した男の妻)や偶然を装って「ぼく」に接触しようとする依頼者の弟などに不信感を募らせる。
「ぼく」はこの依頼自体が失踪した男の行方をさらに隠蔽するために持ちかけられたのではないかと考え始め…
阿部公房の「失踪三部作」と呼ばれる長編書き下ろし小説の三作目。
随所に手書きの地図や新聞記事の切り抜きがのっていたりと、斬新で当時としては未来的な工夫が魅力な一冊になっています。
■誕生/1924年3月7日
■没年/1993年1月22日
■出身/東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ケ原)
■本籍/北海道上川郡東鷹栖町 (現・旭川市)
■その他代表作/『砂の女』『他人の顔』など
(1924-1993)東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。
一見北海道とはなんの関わりもなさそうな安部公房ですが、実は旭川と意外な繋がりがあったりします。
安部公房の祖父母は父方、母方ともに四国から東鷹栖(現旭川)に入植した開拓民であり、安部公房の両親もその場所で生を受けました。
かくいう安部公房自身も、一年だけではありますが、東鷹栖の小学校に通っていたことがあります。
安部公房は当時人気だった自身の主催する劇団、「安部公房スタジオ」の公演を旭川で行うなど旭川での活動も行っていました。
いかがでしたでしょうか。
今回は旭川にゆかりのある有名作家、三名それぞれの代表作を紹介させていただきました。
旭川には、彼らの出生や文学の仕事を称えた記念館がいくつか存在しています。
ぜひ、空いた時間に足を運んでみてはいかがでしょう。
この記事のキュレーター
出典:ロールキャベツ