2023年04月23日
旭川市の近くにある沼田町って、いったいどんなトコなんでしょうか?知っているようで案外知らない沼田町の歴史を、郷土資料館の視点から紐解いてみようと思います。
沼田町の郷土資料館は「炭鉱資料館」として存在しています。
現在の沼田町の姿からは想像しにくいのですが、沼田町の歴史を語る上で炭鉱の存在がいかに欠かせない要素だったのか、ということが見えてきますね。
Photo:らくださん
炭鉱資料館の手前には、当時石炭の輸送に使われていた「クラウス15号蒸気機関車」が展示されていて、ひときわ目を惹きます。
沼田町が、この機関車をどうしてこのように大切に保管しているのかについては後ほど説明しますが、まずはこの施設について触れていこうと思います。
Photo:らくださん
施設は、地域での自然学習が行える「ほたる学習館」「雪の学校」と、ワーケーションなどにも活用できる「コワーキングスペース」も併設しています。
「炭鉱資料館」は施設の一部として利用されています。
建物の中は上記の通り複合的な使用目的がある為、使用スペースが色々と分かれています。
郷土資料館の要素がある「炭鉱資料館」は、施設の中の少し奥の方にあります。
Photo:らくださん
炭鉱資料館のコーナーへ進むと、沼田町の歴史や、過去炭鉱で栄えた頃の資料がずらりと並んでいます。
パネルには貴重な写真と共に解説が書き込まれており、沼田町での炭鉱開発や当時の状況などについて詳しく知ることができます。
Photo:らくださん
また、当時実際に炭鉱作業に使用されていた用具類なども展示されていて、よりリアルに感じることができます。
どの道具をどんなふうに使ったのかなど、当時の作業の大変さを想像させられます。
まぁ、でも冷静に考えてみれば、土の中に札束が埋まっているようなものですから、ウッヒャーといった感じで作業されていたのかも知れませんね。
出典:北海道空知総合振興局:沼田町役場
当時の昭和炭鉱事務所
炭鉱資料館には沼田町での炭鉱の開発から閉山に至るまでの歴史の経緯が非常に詳しく紹介されています。
経済や人の流れなど、石炭が地域に与えた影響の大きさを知る上で、非常に貴重な資料として受け取れます。
さて、そんな沼田町の炭鉱の歴史を語る上で欠かせないのが、炭鉱で採れた石炭を運ぶ為の鉄道の存在です。
ここでは、「炭鉱資料館」の補足資料として、留萠鉄道について少し触れさせて頂きたいと思います。
埋蔵量が2億トンを超えるとされる石炭を、積出を行う留萌港まで輸送するインフラとして留萠鉄道は敷設されました。
留萠鉄道は、先日廃線になった留萌本線の恵比島駅から分岐して昭和炭鉱まで続く「炭礦線(たんこうせん)」と、留萌駅から更に港へ向かって伸びた「海岸線」からなり、石炭積出港までを総称した呼び名になります。
Photo:らくださん
1928年に私鉄として開業し、炭鉱の閉山に伴い留萠鉄道は1971年に廃線となりましたが、かつては上の写真のように小平町との町境にあたる山奥まで線路が伸びていました。
沼田町は1940年頃から人口が急激に増え、1955年頃にピークを迎え(約2万人)、1970年頃に元の人口(約8千人)に戻るような人の動きがあったことから、当時この留萠鉄道がどれだけ多くの人と物を動かしたのか窺い知ることができます。
出典:北海道空知総合振興局:沼田町役場
そんな留萠鉄道の終着点にあったのが昭和炭鉱です。
昭和炭鉱が最盛期を迎えていた頃、クラウス蒸気機関車は石炭と石炭に関わる様々な人や物を文字通り牽引する為に重要な役割を果たし、大活躍していました。
町の繁栄を支えたこの小さな蒸気機関車が、今も愛され続けるのは理解できますね。
出典:北海道空知総合振興局:沼田町役場
上の写真は当時の昭和炭鉱の選炭場で、4本の線路が引き込まれていました。
貨車にはホッパーと呼ばれるジョウゴのような装置から落として石炭の積込みを行っていました。
出典:北海道空知総合振興局:沼田町役場
上の写真は浅野雨竜炭鉱全景の様子です。
沼田町には当時「浅野雨竜炭鉱」「太刀別炭鉱」「昭和炭鉱」の3つの炭鉱があり、現在沼田ダムの建設によりホロピリ湖の下に沈んでしまっている浅野地区には、最盛期の1950年代には約5千人もの人が住んでいました。
現在の沼田町の総人口より多くの人がその地域に住んでいたのですから、本当に驚きですよね。
出典:北海道空知総合振興局:沼田町役場
上の写真は太刀別炭鉱の選炭場と送炭用索道(ロープウェイ)の様子です。
写真左側に見えるのは留萠鉄道の太刀別駅です。線路の本数の多さから、当時の賑わいが想像できますね。
ちなみに、この太刀別炭鉱は沼田町にあった3つの炭鉱の中で一番新しい、つまりは一番最後に開発された炭鉱でした。
当時他の2つの炭鉱経営が悪化しはじめた頃に新たに採炭が始まった事もあり、沼田町としても明るいニュースではありましたが、諸事情が重なり開業からわずか7年目にして閉山されてしまいました。
そして、留萠鉄道も沼田町の炭鉱群と運命を共にするように、惜しまれつつ1971年に全線が廃止となりました。
こうしてみると、炭鉱と留萠鉄道が沼田町にとってどれだけ大きな存在であったかがよくわかりますね。
そして、その功労者の象徴として炭鉱資料館前に「クラウス15号蒸気機関車」が展示されている、という訳なんです。
Photo:らくださん
炭鉱資料館には、石狩沼田幌新獣害事件についての資料も展示しています。
石狩沼田幌新獣害事件は、大正12年(1923年)8月に現在の沼田町幌新地区で起きたヒグマによる獣害事件のことで、苫前町の三毛別ヒグマ獣害事件に次ぐ日本史上2番目に大きな被害者(死者4名・重傷者4名)を出すという大変痛ましい出来事でした。
資料館の内部には当時の資料や実際にヒグマを射殺した時に使用した弾丸なども展示されています。
Photo:らくださん
ヒグマを射殺した弾丸など、大変貴重な資料のハズなんですけど、取材時は床に直に置いてあったりと意外と雑に扱われていておどろきました。
Photo:らくださん
実際に人を襲ったヒグマは上の写真の毛皮の状態のもので、剥製として置かれているヒグマは別の個体だということでした。
ちょっと写真ではわかりにくいのですが、このクマの毛皮、めちゃくちゃデカいです。
ちなみに、この獣害事件について興味を持たれた事が理由で炭鉱資料館を訪れる人も少なくないようです。
今からちょうど100年前に起きた悲惨な事件を知ることができる貴重な資料が展示されていますので、是非身近に感じて頂きたいと思います。
住所:北海道雨竜郡沼田町字幌新
電話:0164-35-2155
開館期間:通年
開館時間:09:30~16:00
休館日:月曜日(祝日の場合は次の日)
入館料:無料
駐車場:あり
Photo:らくださん
沼田町化石体験館は炭鉱資料館のすぐ隣にあります。
駐車場は非常に広くとってありますので、車を停める場所を心配する必要はないでしょう。
Photo:らくださん
館内に入ると、ヌマタカイギュウや体長12mのクビナガリュウなど沢山の骨格標本がドーンとお出迎えしてくれます。
これはさすがにインパクトがありますね。
それほど大きな施設ではありませんが展示物がたくさんあって楽しみながら学ぶことができる、そんな見応えたっぷりな内容になっています。
Photo:らくださん
こちらでは北海道指定天然記念物のヌマタネズミイルカも展示されています。
ヌマタネズミイルカの化石は日本で最初に新属・新種として生物学的記載がされたネズミイルカの仲間で、ネズミイルカの進化の歴史を探る上で非常に重要な化石なんです。
Photo:らくださん
また、別のブースではそんなヌマタネズミイルカを発掘する様子も展示されています。
化石がどのように発掘されていくのかがよくわかるようになっています。
Photo:らくださん
沼田町では世界的にみてもタカハシホタテの化石がたくさん採れる場所なようです。
タカハシホタテは1930(昭和5)年に東京帝国大学の横山教授によって命名されました。
名前の由来である化石発見者の「タカハシ」さんは樺太(サハリン)の学校の先生だったようですが、資料が少なくどなたかハッキリしないようです。なんとも不思議ですね。
そして、ここではそのタカハシホタテを直接さわって観察する事もできます。
Photo:らくださん
受付ではミニ発掘キットが販売されていました。
砂を固めた発掘キットの中には、本物の化石が入っていますので、自宅に持ち帰って発掘体験ができちゃうんです。
目で見て触って体験できる、大変素晴らしい文字通りの化石体験館ですので、是非一度訪問して下さい。
住所:北海道雨竜郡沼田町字幌新381
電話:0164-35-1029(開館時のみ)
開館期間:4月29日〜11月3日
開館時間:09:30~16:00(最終入館は15:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は次の日)、祝日の翌日
入館料:一般300円 小・中・高校生100円 幼児無料
駐車場:あり
沼田町は旭川からほど近い場所にありますが、意外と知られていない事がたくさんあったのではないでしょうか。
今回紹介した施設は沼田町の深い歴史や珍しい化石などに触れることができますので、実際に足を運んで体験して頂ければと思います。
また、画像の出展に際しご対応頂きました北海道空知総合振興局さま、そして取材に応じて頂きました沼田町役場さま、本当にありがとうございました。
この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。
Photo:らくださん
この記事のキュレーター
Photo:らくださん