2020年02月07日
北海道では、野生動物による農地被害などが深刻です。しかし、高齢化などにより、ハンターの数は減っているのが現状です。旭川市でハンターをしているという女性に話を伺うことができました。彼女がハンターになったきっかけや、野生動物への思いをご紹介します。
「友達に、野生動物のハンターをしている女性がいるんだけど、面白い人だから会ってみない?」と友人から話を聞いたとき、私は、頭の中に体格のよい野性的な雰囲気の女性を頭に思い描いていました。
ところが、はじめてその女性に会った時、私の一方的な想像は打ち砕かれてしまいます。
その人は、実際は、ファッションにこだわりを持っていることが一目でわかるおしゃれな人で、明るく、親しみのもてる女性でした。
その女性の名前は、東海林知里さん。
東海林さんは普段は、ネイルサロンやカフェなどを営んでいます。
女性的イメージの強い職業とは裏腹に、ハンターという一面も持っている多才な人です。
ハンターについてほとんど知識を持たない私が緊張しているのを察してか、東海林さんは丁寧にインタビューに応じてくれました。
東海林さんがハンターになろうとしたきっかけや、ハンターとしての心構えなどを聞きました。
東海林さんは、なぜハンターになろうと思ったのでしょう。
きっかけは、ハンターをしていた友人が身近にいたことだったといいます。
実はその友人というのは、現在の東海林さんの旦那様。
元々好奇心旺盛な性格の彼女は、友人の話に興味を持ち、ハンティングの同行をすることにしました。
その時は、自分の人生を変えることになるとは思いもよらず、深く考えずについて行きました。
ところが、実際に見た狩りは想像以上に衝撃的でした。
「今まで草をムシャムシャと食べていた鹿が、ハンターの手によって命を落とし、今度は人間が生きるためにその命を食べる。」という、知識としては知っていたはずの事実を目の当たりにして、ショックを受けます。
生々しく鹿が解体されていく様子をその目で見て、その場で立ちすくみ、しばらく動くことができなかったそうです。
「ショックでした。元々動物は好きな方ですから。」
とは言え、この衝撃的な体験は彼女に大きな気づきと変化をもたらします。
「気づき」とは、「人間であれ動物であれ、この世に生まれた生物は生きるために他の命を摂取するという宿命からは逃れることはできない。」ということです。
そして「変化」とは、彼女の体調に関わることでした。
実はその当時の彼女は、精神的に食事を受け付けられない症状に苦しんでいたのです。
当時の想いを彼女はこう話します。
鹿が撃たれて命が尽きる瞬間を目の当たりにして、「一体私は、何をしているんだろう。子どもの頃から食いしん坊で食べることが大好きだったはずなのに、いつまで食べ物をうけつけないつもりなのだろう」と我に返ったと言います。
「生きることは食べること」という当たり前の事実を目の前につきつけられたことで、今の自分は自分の本質からかけ離れていると思い直したのです。
その日を境に長年苦しんできた症状から解放され、再び食べる楽しさを見出すことができたといいます。
そして、「私も命に対して真摯に向き合わなければならない。」とハンターになることを決意します。
彼女は、「自分の命を支える食事に真剣に向き合うべきです」と言います。
日本でも一昔前までは、自宅で飼っている家畜を自分たちで処理したものを食べていたはずです。
ところが今は、すでに誰かの手によって処理、加工された肉をスーパーなどで簡単に手に入れられる時代です。
私たちの多くは、普段口にしている食肉が、元々は血の通った動物であったことすら忘れて、機械的に取り入れてしまっているのです。
尊い命をいただくことで私たちは生きられていることを自覚しなければいけません。
では、命や食に感謝して食べるには、どうしたらいいのでしょう。
東海林さんは、食事をする時に集中して食べること、楽しんで食べることが大切だと考えています。
忙しい現代人は、食事をする時にも何かをしながら、義務感で食べてしまうことが多々あります。
そのような命をなおざりにするような行為を東海林さんは、「作業で食べる」と表現していました。
私たちが、命を尊ぶためにできることは、料理に向き合って、味わって食べることだと言います。
今回の取材の中で、普段食べている食肉がどのような工程を経て私たちの手に渡っているかを「知らないことは罪」と言い切った東海林さんの言葉が印象的でした。
私たちができることは、尊い命を無駄にしないよう感謝して食べきる意識をもつことだと思います。
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