2020年03月24日

旭川で誰が一番面白い?オレに決まってるじゃねえか!俺だよオレオレ!

「hassyを記事にしたい」そう言われたので、それなら自分で自分を記事にするという離れ業。asatanの編集者が「この人との契約は終わりにしよう」と思わせるほど内容の荒れた記事。日本首都は東京でも世界の首都は旭川。そんな旭川に生息する俺の記事。


俺だよオレ俺!hassyだ!

ハット:MEGAドンキホーテ(春光)
 オーバーオール:Oil co(東川)
 サンダル:ダイソー(末広)
 アタッシュケース:DMCホーマック(永山)

 
数年ぶりに地元旭川で1年を過ごしてみたものの、長男として全く機能していない俺に実母である母親もここ最近では俺のことを名前でなく苗字で呼ぶようになり、認知症なのか現実逃避なのか判断が難しいhassy家。 町内会長も次期会長のポストを開けて待っていると地元ではもっぱらの噂。 バドミントン元ネパール代表コーチ。電子書籍出版。天然石商人。ブロガー。メンタル心理カウンセラー。旅人。 趣味はオカリナと囲碁という経歴をひっさげて八区町内に、いや旭川に一石を投じる所存であります。

ボリビアでガチ漫才

大阪出身の元漫才師。M-1出場も予選2回戦で敗退

 
今から約11年前。南米ボリビアを訪れた際、一緒に旅をしていた大阪の元漫才師が熱望した「世界一標高の高い町で漫才がしたい」という俺にとってはどうでもいい夢を叶えるために、富士山より高い標高3600mの町首都ラパスの公園でゲリラ漫才を決行。 スペイン語しか話せないボリビア人にまさかのオール日本語でかました漫才は誰一人笑うことなく、むしろ笑われる始末。 なぜ俺はこんなくだらない夢の為に漫才をさせられているのか、なぜ俺は標高3600mでボリビア人に笑われているのか、そんな疑問は投げ捨ててガチ漫才をやったのに、言い出しっぺの相方が緊張のあまりネタを飛ばすという大惨事。 しかしそんな大惨事も日本語が通じないボリビア人にとってはどうでもいいことで、無事解決。 無駄に100回を超える練習は見事本番で相方がネタを飛ばして水の泡。

バドミントンネパール代表コーチに就任

感動の一枚を演出するためのヤラセ画像

 
「どっからそんなオファーが来るの?」とよく言われるも、自身でもよく分からず。良く分からないけど三度の日本食よりカレーが好きな俺はカレーが食べたい一心で就任することを決断。 ネパールの体育館では鳩が縦横無尽に飛び回り、野良犬が自由に出入りする動物園と体育館が混同した近未来型スポーツ施設。 代表選手の練習だというのに、代表選手の練習は5対5のバドミントンの練習を本気で練習。俺の記憶が正しいなら、バドミントンは最大人数2対2までのダブルスまで。 油断すると天井から鳩のフンが落ちてくるので、体育館の中でもマスクは必須。なぜ俺にコーチのオファーがきたのか、この時ようやく理解。 「お前ならいけるやろ」という日本政府の見事な人選。ナマステ。

メキシコで教師になる

教師hassyと生徒達

 
メキシコに遊びに行った際、勝手にメキシコバドミントン協会に連絡をして「元ネパール代表コーチの俺が練習をみてあげる」と頼まれてもいないのに上から目線の強引なオファー。 いきなり現れた東洋人にメキシコジュニア代表の選手たちも大喜び。してたはず。 そんないきなり現れた俺に「お前面白いから学校で授業やってみろよ」と学校の先生からオファーをもらい、日本から持って行ってた着物を着て授業に臨み「日本の学校の先生が必ず着る制服」と言って日本文化を正確に伝える。 大学時代に単位が足りず教員免許を諦めたのに、メキシコの学校で教壇に立つというパラレルな人生。 そろそろ旭川市内の学校からもオファーがきてもいいはずなのに、まだ来ないところをみると闇社会からの圧力が影響していると推測。 推測と想像力にかけては旭川随一。

マヤ族と生活

標高2200mと旭岳の頂上と同じ高さで生活をするマヤ族の居住地にちょうど良い広さの一軒家を借りて裏バカンス生活。 朝晩の冷え込みに耐えられずストーブを探すも見つからないので、近所のマヤ族と同じく部屋の中で炭を燃やして生活するが一酸化中毒でふらふらに。 激しい頭痛と吐き気の中「もしここで死んでも誰にも気が付かれないな」と思ったものの、さほど悲しんでくれる人も頭に浮かばず号泣。 ガラスのハートを自ら傷つけて寒さと孤独に耐えながら趣味のオカリナとyoutubeで囲碁の対局を見てメンタル回復。 サルモネラ菌が大量に生息する鶏肉の調理方法を誤って見事に感染した俺は、自宅トイレのヘビーユーザーに。 そんな日本から来た俺を近所のマヤ族は見て見ぬ振り。

見事に作家デビューも家族は興味なし

600冊程度しか売れてないのに四捨五入して約1000冊売れたと豪語

 
高校時代の同級生が「あなたの本なら読んでみたい」と言ったので、暇を持て余していた中年の俺は芥川賞を狙って電子書籍で本を出版。 いつになったら芥川賞受賞の連絡が来るのかと出版後3年経った今もドキドキしながら電話を待ち続けるピュアな中年男子。 見事に書籍化されるも実家の家族は未だ誰一人として「読ませて」と声に出すことは無し。 これがきっかけでグレたとしたら家族の責任は相当重いのだが、家族愛が不足していることに気が付かない鈍感な家族。 俺が長男として機能していないのはこのことだということに、そろそろ気がつくべきである。 俺にもっと興味を持て。

胡散臭さは旭川No.1

 
いつもアタッシュケースを持ち歩きケースの中からはメキシコ産のオパールを始め天然クリスタルなど世界各国で買い付けをしてきた天然石を持ち歩くも、風貌からついたあだ名は「インチキ石屋」。 「この石買ったら絶対幸せになりますよ」 そんなことは一言も言っていないのについてしまったあだ名。 メキシコの路上で買った300円のサングラスをかけてイオンの中をうろついている時は大抵がすれ違う女性をガン見。 巷の噂では俺を市内で見かけると一生幸せになれるというジンクスまで。思いつきで書いただけだけど。 この笑顔は営業用の笑顔。スマイルはマクドナルドと同じく0円だが、現在売り切れ中。

愛車はまさかのプリウス

 
「hassyはプリウスのイメージじゃない!」と時より言われるも、地球と旭川の自然をこよなく愛する俺は優しさ全開のプリウス。 プリウスから発生する大量の電磁波を浴びながら、自分の体よりも地球環境を考える生き方は全米が涙したと言われるほど。 ただ本音を言えば北海道の広さに燃費を気にしてびびった結果プリウスを購入したという後日談も。 現実的な一面があることもアピールして女性のハートをがっちりキャッチ。

まとめ

1995年旭川市市民栄誉賞受賞

 
基本的に関わらないのが無難。 おわり。

この記事のキュレーター

バドミントン元全日本ジュニアチャンピオン。20代半ばよりオーストラリアで生活後、アジア、南米、北米を1年半放浪。帰国後は沖縄の宮古島、兵庫の淡路島などで島生活を経てバドミントンネパール代表のコーチに就任。その後メキシコでジュニア代表もコーチし、マヤ族と一緒に生活。海外ではクリスタルやオパールなどの天然石の買い付けも行い、マクラメジュエリー、アトリエ「名もなき石屋」を幌加内で運営。著書にノンフィクション「旅を終えると君の余命は1年だった」を出版。英語、スペイン語、手話での会話が可能。