2020年08月04日

旭川の末広地区にある電話ボックスが撤去されない信じられない理由

アメリカが本格的に宇宙防衛軍を作りUFOの存在を認めUAP(未確認航空現象)と呼ぶようになった2020年。日本国政府も自衛隊初の宇宙部隊を創設する最終段階に入った。旭川に位置する自衛隊は国内でも屈指の部隊があると言われるが、そんな自衛隊が宇宙とのコンタクトを取る手段として末広地区に未だ残る電話ボックスを利用しているという内部情報を入手した。その真相に迫る。


未だ電話ボックスが残る末広地区の謎

 
日本政府は宇宙とのコンタクトをまだ公に発表することができない。 理由の一つとしては国民の混乱を避けるためのことであるが、政府内部ではジレンマを抱えている閣僚もすでに存在していると言われている。 大きな報道には至らなかったものの、読売新聞で自衛隊初の宇宙部隊創設の記事が一面で報じられたのが2019年8月5日。 政府の圧力もありテレビでは大きく報道されていないが、そろそろ我々国民も本格的に宇宙とのコンタクトについて考える時期がやってきたのではないだろうか。 そんな2020年の初めに入手した情報によると、旭川の末広地区に残る電話ボックスでは宇宙人とのコンタクトが頻繁に行われてたというリークがあった。 事の真相に迫っていきたい。

撤去しないのではなくできない

実際の電話ボックス

 
すでに日本国内で電話ボックスを探すことはかなり難題なことになっているが、そんな中末広地区には市民の生活に紛れて長年誰にも使われていない電話ボックスがある。 大手通信会社で働く友人に話を聞いてみたが「その件については答えられない」という歯切れの悪い回答しかもらえなかった。 国内でこれだけ多くの電話ボックスが撤去されているにも関わらず、末広地区に残る電話ボックスだけは一向になくなる気配を見せない。 その理由は電話ボックスに見せかけた宇宙との通信機器とも言われているが、とある筋からはUFOへの搭乗ゲートとも言われてもいる。 耳を疑うような話だがそんなことは本当にありえるのだろうか。

自衛隊幹部が出入りしていたという噂も

 
スマホの普及率が国内全体で90%に迫る中、自衛隊幹部が電話ボックス内で誰かと通話をしていたという目撃談がいくつか寄せられている。 なぜ自衛隊幹部なのかという主な理由については二つある。 一つは自衛隊員しか着る事のできない制服をまとって電話ボックス内にいた事。 そしてもう一つは、少し離れた位置で隠れるようにして自衛隊幹部しか乗る事のできない黒塗りのセダンが止まっていた事がしばしば目撃されている。 この件についても自衛隊内部で働く知人に聞いてみたが「俺の口からは何も言えない」と、こちらも濁した回答しか得られなかった。 令和の時代に自衛隊幹部が電話ボックスで誰かと通話をするとは到底考えにくい話だ。しかし市民から目撃情報が寄せられている中、自衛隊には説明責任があるのではないだろうか。

旭川駐屯地は宇宙とコンタクトを取っている?

 
答えを先に言うならば「YES」だ。 彼らは基地内にある大きな基地アンテナをカモフラージュとして市民へ見せてはいるものの、宇宙とのコンタクトは全て電話ボックスを利用して行なっている。 一説によると携帯電話やスマホを普及させたのも、電話ボックスという宇宙との通信機器を国民の目からそらすために普及させたとも言われている。 実際に末広地区にある電話ボックスと言われて場所が特定できる旭川市民はどれほど存在するだろうか。 現実には存在するものの、見える人間と見えない人間が存在するとも言われている。 今回筆者がこの記事を作成するにあたって、ライターとしての覚悟は固まっている。 この記事が公開された後に筆者が世間から消えたとするならば、政府関係者の何らかの圧力がかかったと想像してもらって間違いないだろう。

あなたの地区に隠れる電話ボックスを探せ

 
一度しか言わない。 この記事をここまで読んだならば、あなたは今すぐに家を飛び出し自分の地区にある電話ボックスを探し出せ。 そしてもし電話ボックスを見つけたなら「#369」をダイヤルして、 「ワレワレハアサヒカワシミンダ」 と受話器に向かって16回大声で話しかけろ。周囲の目を気にしてはいけない。 大丈夫。自分と筆者を信じろ。 きっと誰かが通報して救急車がすぐに駆けつけてくれるはずだ。 救急隊員には「宇宙とコンタクトを取っている最中だから邪魔するな」とでも言っておけ。

この記事のキュレーター

バドミントン元全日本ジュニアチャンピオン。20代半ばよりオーストラリアで生活後、アジア、南米、北米を1年半放浪。帰国後は沖縄の宮古島、兵庫の淡路島などで島生活を経てバドミントンネパール代表のコーチに就任。その後メキシコでジュニア代表もコーチし、マヤ族と一緒に生活。海外ではクリスタルやオパールなどの天然石の買い付けも行い、マクラメジュエリー、アトリエ「名もなき石屋」を幌加内で運営。著書にノンフィクション「旅を終えると君の余命は1年だった」を出版。英語、スペイン語、手話での会話が可能。