2020年03月06日

ミルクボーイ伝説の漫才がasatanで?!コーンフレークちゃうやないか!

ついにミルクボーイ伝説の漫才が旭川情報webサイトasatanで掲載されることになりました!漫才を文字起こしで行うという無謀な挑戦。果たしてミルクボーイのネタは記事で読んでも面白いのか?


面白いサイトの名前を忘れた?!

 
「うちのおかんがね、旭川で面白いwebサイトがあるって言ってたんだけど、その名前を忘れたらしくてね」 「旭川で面白いwebサイトの名前を忘れた?どうなってんねんそれ。ほなおかんが忘れたwebサイト俺が一緒に考えたるから、どんな特徴言うてたかっての教えてよー」 「なんかな、旭川の市民がライターとなって記事を作成して採用されると報酬がもらえる仕組みらしいんよ」 「ほー、それasatanやないかい。フリーペーパーを2019年で休刊して、webだけで勝負しているasatanやろー。その特徴はasatanやないかい。すぐわかったよーそんなの」 「うん、俺もasatanやと思ったんやけどな。でも分からへんのよ」 「何が分からへんのよ。そんなんasatanに決まりやないか」 「うちのおかんが言うには日本で一番有名な情報webサイトらしいんよ」 「あー。ほなasatanちゃうかー。asatanのwebサイトは旭川市民でもさほど認知されてないもんなー。日本で一番の情報サイトになるにはソフトバンクの孫社長にお願いしてお金積んでもらわな、日本一の情報サイトになられへんよ。ほなもうちょっとなんか言うてなかった?」 「北海道第二の都市のくせしてガチで世界戦略を狙っているwebサイトらしいねん」 「ほなasatanやろ。asatanは旭川という北海道第二の都市のくせに札幌を出し置いて世界戦略を狙おうとしているしたたかなwebサイトやないかい。asatanは世界の観光客を狙い撃ちして外国語でも情報発信しようとしている無謀なwebサイトやねんから」 「俺もそう思ってん。でも、おかんが言うには夜寝る前にもスマホでついつい開いてしまうサイトらしいねん」 「ほなasatanちゃうわー。夜寝る前にスマホで開くのはフェイスブックかインスタかyoutubeだけやもんなー。寝る前にasatanで記事をチェックするほど中毒性はないねんから。asatanは旭川で食事をしようとする時に検索すると色々なお店が調べられるサイトやねんから。寝る前に見たら行きたくなってまうだけやがな」 「うん、俺もそう思ってん。でもなおかんが言うにはイベント情報や旭川のニュースに関して色々載せてくれているから助かる情報サイトらしいねん」 「ほなasatanに決まりよー。旭川で行われるイベント情報を細かく載せているのはasatanしかないんやから。そんなんasatanで決まりです!」 「うん、俺もそう思ってん。でもな、おかんが言うには旭川の合コンで必ずそのサイトの話で盛り上がるらしいねん」 「うーん。ほなasatanとちゃうやないかい。asatanは合コンで話のネタになる程恋愛に特化した記事なんてあらへんよ。asatanの記事でお店を決めることがあっても、asatanがきっかけで付きおうたってカップル聞いたことないわ。恋愛は情報サイトでするもんやなしに、心でするもんやねんから」 「そやろ。俺もそう思ってん。でもな飲食店のクーポンとかも付いていて旭川市民にはかなりお得なサイトらしいんよ」 「その特徴はasatanやわー。webサイトで旭川の飲食店のクーポンが付いているなんてasatanしかないやろー。今や旭川の飲食店でasatanのクーポン見せたら最先端を走る市民やと思われるよ。旭川の市長なんて東京の出張でついついクーポン使いそうになってんねんから」 「うん、でもなおかんが言うには住民税も市民税も全部クーポンで割引ができるサイトらしいねん」 「ほなasatanちゃうやがな。asatanは飲食店でのクーポンは付いていても、住民税や市民税が割引にできるほどの政治的な力はないんやから。あのサイトは市民様のご愛好と民間企業で成り立っているサイトや!」 「うん。でもなおかんが言うにはasatanではないらしいねん」 「ほなasatanちゃうやないか!おかんがasatanちゃうって言ってるならasatanちゃうやないか!お前、市長が東京でクーポン使おうとしたってネタかました時どう思っててん。asatanのクーポンを他の大都市で見せたってだーれも分からへんよ!」 「うん。でもな、あさっぴーが言うには2チャンネルやないかって」 「あさっぴーって誰やねん。もういいわやめさせてもらいます」

この記事のキュレーター

バドミントン元全日本ジュニアチャンピオン。20代半ばよりオーストラリアで生活後、アジア、南米、北米を1年半放浪。帰国後は沖縄の宮古島、兵庫の淡路島などで島生活を経てバドミントンネパール代表のコーチに就任。その後メキシコでジュニア代表もコーチし、マヤ族と一緒に生活。海外ではクリスタルやオパールなどの天然石の買い付けも行い、マクラメジュエリー、アトリエ「名もなき石屋」を幌加内で運営。著書にノンフィクション「旅を終えると君の余命は1年だった」を出版。英語、スペイン語、手話での会話が可能。