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2020年05月08日
【彫刻のまち】とも呼ばれる旭川。市内の街中や公園には約100基もの彫刻が設置されているんだそう。でも、身近であるがゆえに「あまりじっくりと見たことがない」なんて方も少なくないのではないでしょうか? 今回は忠別橋の上に設置されている4つの彫刻をご紹介♪
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中心部と神楽エリアを結ぶ忠別橋。旭川出身の小説家 三浦綾子さんのデビュー作【氷点】に出てくる橋のモデルにもなったんだとか。
この橋の上では、4つの彫刻を見ることができます。
(忠別橋について詳しく知りたい方はこの記事をチェック! ↓)
【わが街探検】旭川の橋の小ネタ&雑学集【橋シリーズ③】 | 旭川のことならasatan
https://asatan.com/articles/126?page=1#outline9162本もの川が流れ、“川の街”とも呼ばれる旭川。川が多いだけあって、橋の数もたくさん。実は、旭川には大小合わせて約760もの橋があるんです! 今回は普段何気なく渡っている橋の、小ネタや雑学を集めてみました♪
初めに紹介するのは、岩見沢市出身の彫刻家 山内壮夫の作品『家族』。
人物の姿を面や球といった形に、巧みに置き換え【抽象化】。柔らかくなだらかな曲線を描くことで、優しく温かい”家族”というテーマを見事に表現しています。
日の当たり方で表情が大きく変わる作品なので、様々な時間帯・天候に鑑賞してみて。
【作品情報】
『家族』 山内壮夫
1955 ブロンズ 164×72×45
忠別橋上(旭川市宮下通1丁目~神楽2条)
出典:asatan
続いて紹介するのは、第4回中原悌二郎賞を受賞した作品『人 No.13』。
作者の高橋清は学生時代にマヤやアステカなどの古代文明の造形に強く惹かれたことがきっかけで、生涯のうち10年以上をメキシコで過ごしたそう。
マヤ文化やメキシコ美術の研究をするなかで「石は永遠の存在」だと感じた彼は、【石に人間のありかたと祈りを込めた】作品を制作するようになりました。
【人】をテーマにした作品が多いのは、戦争での過酷な経験による死生観を反映しているからだとも考えられます。
人と人との結びつきを感じさせる『人 No.13』。作品の表面が削れていますが、これは展示するようになってから付いた傷だと推測されます。
この傷を含め、「常に変わり続ける不完全な"人"の姿を映し出している作品」とも読み取れ、見る人を感慨深い気持ちにさせてくれます。
【作品情報】
『人 No.13』 高橋清
1973 黒御影石 71×42×32
忠別橋上(旭川市宮下通1丁目~神楽2条)
出典:asatan
旭川のみならず、加藤昭男の作品は、北海道から九州まで様々な場所に野外彫刻として設置されています。
作者の生まれ故郷 愛知県の瀬戸には広大な粘土質の山があり、彼はその土と生き物と共に少年時代を過ごしました。
手掛ける作品には人や生き物が数多く描かれていますが、そこには子どもの頃に遊んだ経験が色濃く反映されています。
今回の『月に飛ぶ』に見られるように、加藤さんの作品は人間・生き物がセットで登場することが多く、それぞれが持つ生命のパワーを引き出し、見事に共鳴させているのが特徴です。
【作品情報】
『月に飛ぶ』 加藤昭男
1974 ブロンズ 87×143×83
忠別橋上(旭川市宮下通1丁目~神楽2条)
出典:asatan
最後に紹介するのは、世界的に有名な彫刻家 流政之さんの作品。
流さんは刀鍛冶・装丁家・零戦パイロットなど様々な経歴を持つほか、庭園作家・陶芸家・家具デザイナーとしても活躍。"造形"において、独自のスタイルを確立したことでも知られています。
代表作といえば、かつてニューヨークのワールドトレードセンタービル前広場にあった『雲の砦』。零戦に搭乗して見た、空に散った敵味方のパイロットの姿を偲んでの作品だったのだそう。
そんな彼が旭川に残したのは『かくれた恋』という、なんとも可愛らしいネーミングの彫刻。
ハートにも新芽にも見えるこちらの作品は、ツルンとした質感ながら角は少し尖りが。
見る人(の人生経験)によって、温かくも冷たくも感じさせる彫刻と言えるでしょう。
【作品情報】
『かくれた恋』 流政之
1978 黒御影石 96×74×48
忠別橋上(旭川市宮下通1丁目~神楽2条)
今回は忠別橋に設置されている4つの彫刻を紹介しました。
市内のあちこちに彫刻が設置されていて、【彫刻のまち】とも呼ばれる旭川。公園や街中など至る所に彫刻がありますから、たまにはじっくりと見てみるのも良いものですよ。
旭川市内の”野外彫刻”を巡る旅【パート4】もお楽しみに♪
この記事のキュレーター
出典:asatan