2021年01月18日
新型コロナウイルスによる困難が続く中、新年を迎えました。 様々な分野で挑戦と活躍を続ける4人の方から、 前を向く力になるメッセージをいただきました。
平昌オリンピック後は競技から離れたが、昨年8月に北京オリンピックを目指し、現役復帰することを表明。
決断の一因に卵子凍結があったことが話題に
※卵子凍結=将来の妊娠・出産に備えて未受精卵子を凍結保存すること。
小学5年生のとき、父や兄とスノーボードを始めました。
学校がある日はナイターで、冬休みも毎日のようにスキー場へ通いました。
練習というより、滑りを楽しむ感覚でした。
近くには、初雪が早く雪に恵まれた旭岳があります。
遠征前は青空が広がるときが多く、良い見送りをしてもらえるパワースポットです。
旭川はゆっくり休める場所です。
アスリートではなく「昔から知っている竹内智香」として変わらず接してくれる人がいて、「お帰り」という感じで、他愛のない会話や空間を楽しめます。世界中を飛び回る生活なので、旭川に帰ると安心します。
後援会で例年、数百人規模の報告会を開いてくれるのですが、大きな同窓会のようです。
旭川空港から自宅までの車窓や自宅からの景色、中心部から少し離れたら自然が広がるところも好きです。
競技生活では苦しいことの方が多いですが、オリンピックや、ワールドカップで勝つ瞬間が待っていると思えば頑張れます。
苦しいことにも意味があると考えれば、違った発見があり、気持ちが楽になります。
平昌オリンピック後の競技から離れていた2年半、どうすれば自分の生き方に自信を持てるかなど、客観的に色々なことを考えた結果、もう一度選手として過ごしたいと思いました。
この不安定な時代、選択肢を増やすのは大事だと思います。
私にとってコロナ禍は、やりたいことを全うできているのかと考える時間になりました。今年は先のことを深く考えず、一日一日を大切に、100%の努力をしたいです。目の前の今できることを重ねて、年末にまた笑えるような1年にできたらうれしいです。
©宝塚歌劇団
新人公演でヒロインに抜擢されて頭角を現し、バレエ仕込みの得意の踊りを生かした演技でファンを魅了している。
2月22日付で宙組のトップ娘役に。上演中の「アナスタシア」でオデット役を務める
幼少期からスキーや水泳をしたり、体を動かすことが大好きでした。
友人に誘われて6歳からバレエを始め、当時から踊りで表現することが楽しくて仕方がありませんでした。お芝居が好きなのもその経験からだと思っています。
「お芝居をしたい」と母に相談したところ、タカラヅカを勧めてくれたのが、今に至るきっかけです。
旭川の人は本当に温かいです。
宝塚音楽学校の受験を決意した頃、高校の担任の先生が思い出づくりにと、勉強会と称してお泊り会を企画してくれました。勉強をしつつ、バーベキューや肝試し、花火もして、本当に楽しかった思い出です。今でも帰ると母校やバレエ教室の皆さんに会いに行っています。
旭川は空気がおいしく、空がとっても広いところが大好きです。冬にはスキーを存分に楽しめるのも魅力だと思います。
今は、何より母の手料理が食べたいです。家族と何げない話で大笑いしたり、そんな時間を過ごせたら幸せです。
娘役として心掛けているのは、心と体を健康に、笑顔でいることです。そして自分に嘘をつかない、強く芯のある女性になりたいと思っています。
今年意識している漢字は「深」です。娘役としても舞台人としても、もっと深みのある役者になれるよう日々精進します。また、当たり前の日常が当たり前でなくなった今、一日一日心を込めて、深く過ごしていきたいです。
このような状況だからこそ、少しでも皆さんに元気や勇気を届けたいという一心で過ごしています。
皆さんも、周りの方々と助け合い、思いやり、そして自分を大切にする気持ちを持ち続け、日々を笑顔で過ごしてもらえたらうれしいです。
潤 花さん
旭川市生まれ。市内で高校生活を送り、宝塚音楽学校に入学。平成28年に入団。同年3月「THE ENTERTAINER!」で初舞台を踏み、その後雪組に配属。昨年9月から宙組へ組替え。愛称は「じゅんはな」「かの」
開催期間・場所
●4/10㈯~15日㈭
東京建物 Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)
●5/1㈯~7日㈮
梅田芸術劇場メインホール
主演 真風涼帆さん、潤 花さん
※詳細は宝塚歌劇HPに掲載。
単行本が2,500万部の大ヒットとなった『うしおととら』が平成27年にアニメ化。作品中に神居古潭や旭川駅前が登場し、市民を喜ばせた。現在は週刊少年サンデーで『双亡亭壊すべし』を連載中
ⓒ藤田和日郎/小学館
ⓒ藤田和日郎/小学館
床屋や学校の図書室など身近なところに漫画を読める環境があり、自然と好きになりました。
高校2年生のときに高橋留美子先生の作品に出合い、「こんな物語を描いてみたい」と衝撃を受け、『めぞん一刻』を置いている店を探し回りました。
楽しい物語は、嫌なことを忘れさせます。
『うしおととら』の中で旭川を描いたのですが、地元の風景を描いているときはテンションが上がり、作品にも元気が出ました。
旭川の読者から、地元が登場したことについての手紙がたくさん届き、反響の大きさがうれしかったです。
大学の近くに出版社があったのに、4年近く作品を持ち込めずにいました。「才能がない」と言われたら、と怖くて。でも卒業を控えて「漫画を描くのが好き」と心を裸にし、扉をたたきました。
何度も駄目出しされながら、必死に学びました。
「才能」という言葉は忘れなきゃ駄目です。編集者からは「漫画はみんなに向かって語るものだ」とたたき込まれました。自分の表現だけでなく、読者は何を求めているかをずっと考えています。
みんなが喜んでくれる作品を作って、初めて漫画家です。
漫画は読者主体のエンターテインメントです。読む速さやページをコントロールでき、自分のペースで楽しめます。
コロナ禍で家にいる人が増え、普段より多く感想が届きます。暗い気持ちを取り除けていたらうれしいです。
皆さん、最大限の予防対策をしたら、不安な気持ちから目をそらしてもいいと思います。散歩でも漫画でもいいので、自分の心のご機嫌を取ってください。描く側にとって大切なのは、読む人が笑っていられることです。
大好きです、旭川!
昭和39年、旭川市生まれ。旭川東高校を卒業後、日本大学へ進学。平成2年、少年と妖怪による冒険とバトルを描いた『うしおととら』で連載デビュー。他に『からくりサーカス』『月光条例』などの代表作がある
胸ポケットにペンに見せかけた小物を入れ、「これペンじゃないですよ」と明かすのが鉄板ねた。地元を愛し、旭川観光大使を務める。テレビ番組やラジオに出演し、お茶の間に親しまれている
小さい頃からテレビっ子でお笑いを見て育ち、人前に出るのも好きでしたが、実家が寿司屋なので、家業を継ぐと思っていました。
転機は高校1年生のとき。先輩が吉本興業の養成所に入ると聞き、「旭川からお笑いの世界に行くなんて!」と衝撃を受けました。
「自分もやってみたい」という思いが募り、高校3年生のとき、号泣しながら土下座して両親に打ち明けました。
「10年やって駄目なら帰る」と約束して大阪へ行きました。
吉本興業の劇場で働いたことから、島田洋七師匠の付き人に。悩んでいると「あかんかったら日本一面白い寿司屋になったらええがな」と言われ、気持ちが楽になりました。
「人生楽しめ」という師匠の口癖が、今の僕をつくっています。
お笑いは浮き沈みが激しく、うまくいかないときもあり、壁は次々現れます。そんなときは子供の頃、スキーの先生に言われた「転ぶほどうまくなる」という言葉を思い出します。一喜一憂せず、全てが良い反省材料なんだと。
今は、昔のように引きずる時間がもったいないですし、人とも比べません。
地元で10回ほど漫才をしましたが、毎回、込み上げるものがあります。
昔から「旭川にお笑いを根付かせたい」という思いが強く、その気持ちは今も変わりません。
最終的には旭川に帰ると決めています。僕が市内を案内するツアーや、スタルヒン球場でのウルトラクイズ大会など、やりたいことはたくさんあります。
まず一歩踏み出すのが大事だと思います。失敗しても笑い話になるし、マイナスにはなりません。コロナでまだまだ大変ですが、小さな楽しみを見つけながら生活したいですね。
昭和53年、旭川市生まれ。旭川南高校を卒業後、お笑いの聖地・大阪へ。平成18年、石沢 勤さんと「新宿カウボーイ」を結成し、ボケを担当。現在は東京を拠点に活動し、浅草の寄席などに出演中。漫才協会の理事も務める
1/24㈰ 5:15~5:44(予定)
落語、漫才、講談、マジックなど達人・名人が披露する笑芸・演芸。ドラマ、音楽、バラエティー、古典芸能、文化・学術など各界の一線で活躍する方をゲストに招き、「演芸界」の重鎮たちと繰り広げる極上のトーク。 日曜日の早朝・頭と心のサプリをお届けします!
この記事のキュレーター
竹内智香さん
昭和58年、旭川市生まれ。クラーク記念国際高校卒。ソルトレークシティオリンピックから5大会連続出場。平成19年からスイスに渡り、ソチオリンピックで銀メダルを獲得。スノーボード日本人女性初のオリンピックメダリストに