2023年05月12日

【なんて読むの??】旭川近郊にあったJR難読駅5選 =廃線駅編=

北海道にはアイヌ語由来の駅名がたくさんあります。そして、それは廃線となった旧国鉄駅にも多く存在します。今回はそんな廃線になってしまった過去の難読駅を5つご紹介します。


旧天北線 『敏音知』 駅

Photo:らくださん

 

旧天北線にあった「敏音知」駅。
現在も敏音知岳の登山口として利用されている場所ですが、かつては造材(樹木を伐採して木材に加工するお仕事)が盛んな地域でした。
木材を搬送するのに鉄道が利用され賑わいましたが、モータリゼーションの影響で鉄道輸送の利用量も減少し、天北線廃線のきっかけにも繋がりました。
さてさて、この駅の読み方は‥‥

Photo:らくださん

 

「ぴんねしり」駅でした。

名前の由来はアイヌ語の「ピンネ・シリ」(男である・山)からきているようで、旧天北線の隣の駅「松音知(まつねしり)」(女である・山)を含めた呼び名だったと言われています。

Photo:らくださん

 

現在の天北線敏音知駅跡は小さなモニュメントが残されているだけで、駅舎などは残っていません。
ただ、ピンネシリというカタカナの名前を聞いてピンときた人もおられるかと思いますが、旧天北線敏音知駅跡は現在「道の駅ピンネシリ」として多くの人に広く利用されています。

Photo:らくださん

 

「道の駅ピンネシリ」は地域の交流拠点として、またオートキャンプ場やコテージなども併設されていて、人々が訪れやすい環境が整えられています。
残念ながら天北線は廃線になってしまいましたが、旧敏音知駅は道の駅ピンネシリとして生まれ変わり、新しい歴史を刻み続けています。

旧渚滑線 『上渚滑』 駅

Photo:らくださん

 

旧渚滑線にあった「上渚滑」駅は、旧名寄本線の渚滑駅から分岐した先にありました。
渚滑線は当時オホーツク海側から旧北見滝ノ上駅、現在の芝桜で有名な滝上(たきのうえ)公園近くまで伸びていて、計画では石北本線の上川駅へと接続する予定だったようです。
もしも計画通りに開通していたとすると、名寄本線や石北本線を含めると壮大なオホーツクルートになっていたのですが、結果的には1985年4月1日に全線廃線となりました。
そして、この駅の読み方は‥‥

Photo:らくださん

 

「かみしょこつ」駅でした。

駅名の由来は、地名である渚滑、アイヌ語の「ソー・コッ」(滝・壺)に由来するようで、その渚滑の上の位置にあったことから上渚滑と呼ばれるようになったとされています。

Photo:らくださん

 

現在の上渚滑駅跡は公園になっていて、鉄道駅のモニュメントが残されています。
小さな公園ですが桜が綺麗で、静かな雰囲気が印象的でした。

Photo:らくださん

 

なお、上渚滑駅跡から少し離れた場所にある「渚滑」駅跡には、キューロクの愛称で親しまれた9600型蒸気機関車が展示されています。

旧湧網線 『芭露』 駅

Photo:らくださん

 

旧湧網線にあった「芭露」駅。
当時の駅舎は現存しておらず、跡地には小さな石碑が残っているだけでした。
それでも1987年の廃線から20年ほどの間は地元の「旧芭露駅保存会」により駅舎やホームなどが保存されていたということですから、地域の方々からどれだけ愛されていたかが理解できますね。
さて、この駅の読み方は‥‥

Photo:らくださん

 

「ばろう」駅でした。

駅名の由来はアイヌ語の「パロー」(入り口)に由来しているようです。
近くには芭露川も流れており、この辺りの地名がそのまま駅名として使われました。

旧羽幌線 『大椴』 駅

 

旧羽幌線にあった「大椴」駅。
かつてニシン漁が盛んだった頃は大椴駅周辺も賑わいがありました。
近隣にある「旧花田家番屋」を作るために、山間部で切り出した木材を海に向けて三半船で搬出する基地として使ったのが、この「大椴」地区でした。
ここから搬出された木材を使って番屋を作った、そう思うと歴史のロマンを感じてしまいますね。

Photo:らくださん

 

今は鉄道駅がなくなってしまっているので沿岸バスさんのバス停を使わせて頂ながら読み方クイズに入りたいと思います。
( 萌えっ子さんスイマセン )
さてさて、この駅名(バス停名)の読み方は‥‥

 

「おおとど」駅でした。

大椴ですが、もともとの地名が「大椴子(おおとどこ)」だったところから、駅名に変換するとき省略され「大椴」となったようです。
名前の由来はアイヌ語の「ポロトトコ」という言葉から訳されているようで、ポロ(大きい)トゥトゥク(岬・出っ張り)の意味があるようです。

鉄道に詳しい知人に廃駅周辺のことを訊いてみましたが、
「大椴駅か?あそこは確か駅前にあった旧農協の農業倉庫くらいしか残ってなかったハズだな」
と答えが返ってきていたので、今はもう線路やホームのような構造物はなくなってしまっているようでした。

旧名寄本線 『上興部』 駅

Photo:らくださん

 

旧名寄本線にあった「上興部」駅。
名寄本線は石北本線がまだ全線開通していなかった時代には、旭川名寄方面からオホーツク方面へ抜ける路線として大変重要な役割を果たしていました。
そして、その名寄本線の最大の難所である天北峠を名寄側から超えた最初の駅がこの上興部駅でした。
さてさて、この駅の読み方は‥‥

Photo:らくださん

 

正解は「かみおこっぺ」駅でした。

興部は自治体名称にもなっていますので、読めた方もおられたのではないでしょうか。
ちなみに駅名の由来は地名である興部が関係しており、アイヌ語「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)に由来していて、興部の上にあたる地域の上興部の地名がそのまま駅名になっています。

Photo:らくださん

 

現在の上興部駅跡は「上興部鉄道記念館」としてさまざまな資料が保存されており、自由に見学する事ができます。
駅舎やホームも保存されていて、レール上には写真のような気動車や除雪車、ロータリー式除雪機などが連結された状態で展示されています。

Photo:らくださん
道の駅「にしおこっぺ花夢」

 

現在、上興部駅跡近くには「道の駅にしおこっぺ花夢」があり、その役割を終えた上興部駅に代わって西興部村の玄関口として新たな役割を担っています。
名寄側から進むと、ちょうど天北峠を越えた場所に、オホーツク海側から進むと天北峠の手前に位置するので、長距離を運転するドライバーにとって疲れを癒すありがたい存在ですね。

あとがき

いかがでしたでしょうか。
今回紹介させて頂いた廃線駅以外にも、駅舎やホームが残されている場所も多くあり、また道の駅へと姿を変えた旧鉄道駅も何箇所かあるようです。
個人的には町並みの綺麗な旧羽幌線「力昼(りきびる)駅」周辺を紹介したかったのですが、もはや元の線路がどのように敷かれて古丹別駅まで伸びていたのかわからないくらい原型がなく、断念せざるを得なかったのが心残りでした。
それはそれとして、各地域で愛された鉄道の跡地を訪問するのは楽しいものですので、是非皆さんもお時間がある時に、当時に想いを馳せながら訪れてみてはいかがでしょうか。
アイヌ語の地名や由来をみても、楽しく学べるように思います。

過去に書かせて頂いた難読駅の記事も紹介しておきます。
興味のある方はご覧下さい。

Photo:らくださん ( 「ほろかない」も難読ですよね )

 

この記事のキュレーター