2020年03月09日
国立アイヌ民族博物館などからなる『ウポポイ』のオープンが迫るなか、アイヌへの関心が高まっています。旭川にも【アイヌを知ることができる場所】がいくつかあり、文化や生活を知ることができます。今回は身近な場所に残るアイヌの痕跡を探ってみました。
旭川周辺にも、もちろんアイヌの人たちは住んでいました。
彼らは、地名から『上川アイヌ』と呼ばれていたんだとか。
『上川アイヌ』に限らず、アイヌの人たちにとって、生き物・自然すべてが神であり、あらゆることに感謝をしながら生活していたそうです。
アイヌの人たちは神をカムイと言っていました。
そして神の世界では、神は人間の姿をしており、人間の世界に来る時に動物などの姿になると考えられていました。
旭川には、神居・神居古潭と『カムイ』と付くエリアが存在します。
『上川アイヌ』にとって、現在の旭川周辺は豊かな自然や生き物との繋がりなど、生活していく上で欠かせないもの土地だったのかもしれません。
そんなアイヌの人たちの文化や生活を知り、感じることができる場所をいくつかご紹介していきます。
嵐山に『アイヌ文化の森・伝承のコタン』と呼ばれるエリアがあるのをご存じですか?
自然豊かな嵐山にある『アイヌ文化の森・伝承のコタン』は、『上川アイヌ』の人々と自然との関係を知ることができる場所。
『アイヌ文化の森・伝承のコタン』には嵐山公園センター(アイヌ資料館)や住居のチセなどを見ることができますが、車を停め、資料館へ向かう道のりでも、自然を体感することができます。
山一面の木々を眺めながら橋を渡ります。
冬の時期に行くと、視界に広がる真っ白な世界がとても幻想的です。
橋を渡り終えると嵐山公園センターが見えてきます。
中にはアイヌと自然・植物との繋がりを示す、貴重な資料がたくさん!
アッシとよばれる衣服
出典:asatan
お祭りやお祈りなど儀式の時に着るこの衣服。
実は『オヒョウ』という木の皮からできているんだとか。
オヒョウの樹皮
出典:asatan
皮を細く裂いて織具を使い生地にしているのですが、とても時間のかかる作業で、1着作るのに2~3か月かかるんだとか。
オヒョウのほかにも、様々な樹木の皮や草木を使って生地にしていたそうです。
また、樹木は交通の手段として使用していた船にも活用されています。
丈夫な樹木を厳選して作られた船
出典:asatan
嵐山付近の川を渡るのに必須である船。
バランスを考慮し、重い部分が下になるように造るなど知恵を活かして造っていたそうです。
樹木を上手に取り入れた生活をしていたことがわかりますね。
また、嵐山で採れる自然の木の実や花々は食料として貴重な資源だったようです。
オオウバユリを発酵させ保存食にしたもの
出典:asatan
デンプンを取り出して薬にしたり、繊維を発酵させて保存食として少しづつ食べたり。
植物をいろんな面で活用していたといいます。
嵐山は自然が豊かで、食用の木の実がたくさん採れるため、アイヌの人々にとってとても大事な場所であったと想像できます。
施設から外に出て少し山を登ると、『チセ』と呼ばれるアイヌの住居が再現されています。
集会などに利用されていた広さのチセ
出典:asatan
アイヌの人たちは、その場所に多くある植物を使ってチセを建てていたそうです。
ここのチセは、この土地に多く茂る『ササ』を使って建てられていて、いくつものササが織られた壁はとても頑丈です!
一歩外へ出ると雪景色で、昔の時代にタイムスリップしたような感覚に♪
このチセを含め、ここ嵐山一帯は日本遺産に認定されています。
資料館を案内してくれた堀江さん
出典:asatan
案内してくれた農学博士の堀江さんは「ここでは上川アイヌならではの生活の様子を垣間見ることができます。さらに、雪が解けるとアイヌの人が活用していた草花が、実際に咲いている様子も見ることができます。アイヌと自然との繋がりを感じられる、ほかにはあまりない施設なので是非多くの人に来てほしいです」と話します。
出典:asatan
旭川市博物館では、アイヌの人々の暮らしや、生き物、神との関係を知ることができます。
広い館内には、人形を用いたジオラマや、全道にわたって収集された民具など様々な資料が並びます。
復元されたチセの外観
出典:asatan
こちらに展示されているチセもやっぱりササを使って復元されたものです。
当時、冬はチセの周囲に雪が積もったままの状態にしたり、炉の火を絶やさないことで、熱を逃がさないようにしていたんだとか。
そのほか生活に必要な鉄製品や漆器などは、交易で手に入れていたんだとか。
ちなみに、アイヌの人たちが交易品としていたのは、サケやクマの毛皮、オオワシの羽などなど!
今にも動き出しそうな人形のジオラマ
出典:asatan
上川地区には川が多く、1戸あたり数千のサケを捕獲していたといい、そのサケを交易品にしていました。
アイヌの人たちにとって多くの生き物は神からの恵みです。
そのため、恵みを与えてくれた神に感謝し、神の魂を神の世界へ送り返す儀式を行ないます。
熊の頭骨を使用した儀式の品
出典:asatan
魂を神の国に送り返す儀式は生活の道具などに対しても行ないます。
旭川で発見された現代の儀式の跡には、赤ちゃんのおもちゃも置かれていました。
ボヤ~っとした見た目のケースが、なんだか神秘的な雰囲気。
生き物は生活に欠かせない衣服にも利用されています。
生き物の皮や植物を使用した靴
出典:asatan
厚いサケの皮を用いた靴、滑り止めにヒレが靴の底面にくるようにするなど、知恵を活かし、用途に合わせて様々な生き物を活用していました。
儀式の時に使用していた冠
出典:asatan
先に、熊の頭を模した飾りが付いた冠。
諸説ありますがある有名な民芸品の元になったとも言われているんです。
初期の頃の木彫りの熊
出典:asatan
それは!!
今や北海道の定番土産として有名な木彫りの熊です。
初期の頃の作品は今とだいぶ形が違いますよね。
自身もアイヌである作者、松井梅太郎は狩りで捕り逃がした熊のことが忘れられず、木彫りの熊を彫り始めたと言われています。
なんとも意外な理由。
それがどんどん進化してリアルな熊の木彫りとなり、交易品や土産物としてアイヌの人たちの生活を支える物になっていったようです。
館内を案内してくれている様子
出典:asatan
案内してくれた旭川市博物館の方は「ここでは【上川の自然と歴史】【アイヌの歴史と文化】にしっかりエリア分けされていてとても見やすくなっています。修学旅行で訪れる学生さんや、高齢の方まで、いろんな人に分かりやすくアイヌの魅力を知ってもらえたら」と話します。
当時の情景をリアルに体感できる旭川市博物館。
アイヌの生活の一片を覗いているような錯覚に陥る空間です。
出典:asatan
開館して100年以上、日本最古のアイヌ記念館が【川村カ子トアイヌ記念館】なんです。
アイヌの人たちの考え、工芸品や物作りの一片を間近で見ることができます。
手提げ袋
出典:asatan
採取した山菜などを入れるのに使っていた手提げ袋。
サラニプと呼ばれ、樹皮などから作られているそうです。
ガラスケースがなく、間近で見ることができるのですが、木で作られたとは思えない細かさに驚かされます。
交易で手に入れたものを利用して作られた品も展示されています。
首飾り
出典:asatan
大陸との交易によって手に入れた青い玉を加工し首飾りにしたもの。
とても重く、儀式などの時に使用していたそうです。
また、和人との交流によって生まれた作品も多くあります。
奉酒箸
出典:asatan
さまざまな儀式の際に、神々にお酒を捧げるために使用していたイクパスイと呼ばれる奉酒箸。
幾何学文様など和人文化との交流から生まれたデザインも多く、様々な種類が展示されています。
時代と共に、工芸品なども変化していきました。
砂澤ビッキ作品のコーナー
出典:asatan
アイヌの両親のもとに旭川で生まれた『砂澤ビッキ』が残した木彫り作品が並びます。
抽象的でダイナミックな作品はどれも目を引く魅力的なものばかり。
ここにも熊をモチーフにした作品が多く並びます。
アイヌの木彫りの熊は、和人の作品と比べて表情が豊かだといいます。
小熊を飼っていた様子
出典:asatan
熊はアイヌにとって特別な神、キムンカムイ(山にいつもいる神)と呼ばれています。
特に、冬眠中に生まれた仔熊は、神から授けられた賓客といった存在。
2歳まで育て、その後魂を神の世界へ送り返す儀式をしていたんだとか。
身近に熊がいたからこそ、よりリアルで豊かな表情の木彫りの熊が生まれたのかもしれませんね。
イヨマンテの儀式
出典:asatan
魂を神の世界へ送り返すイヨマンテの儀式の様子が再現されています。
アイヌの人たちは、神は人間から祈ってもらうことによって、神の世界で位があがり、食料としてまた人間に還元してくれると考えていました。
そのため、神への土産として奉納品が多数置かれるなど、とても豪勢な儀式だったことがわかります。
副館長の川村久恵さん
出典:asatan
副館長の川村久恵さんはアイヌの魅力を「アイヌって自然なんだけど合理的なんです。感情的な部分はあっても、山に狩りに入るときは必ず祈ってから、資源や自然を守るため獲物を獲り尽くさない。そういった部分が"美しい人間世界"だと思いますね」と話します。
ここでしか見ることのできない生の展示品の数々。
旭川に住んでいる人だけではなく、アイヌに少しでも関心のある人はぜひ訪れて欲しい施設です。
出典:asatan
先にも記したように諸説ありますが、アイヌであった松井梅太郎氏が作った事が始まりとされている木彫りの熊。
いわばアイヌ工芸品の代表でもある木彫りの熊は、旭川が発祥と言っても過言じゃないのかもしれません。
そんな木彫りの熊を、今も旭川で造り続けているのが『木彫りの上西』店主 上西 捷敏さんです。
30年ほど前は、「アイヌの人たちと一緒に木彫りの熊を造っていた」と言います。
木彫り作品を作成する上西さん
出典:asatan
「アイヌの人4人と、私を含めた和人と4人の8人ぐらいだったかな。近文の作業場で一緒に作業していたよ。当時はみんなで切磋琢磨して木彫りの熊を造っていたよ。お互いに技術を高め合っていたね」と懐かしそうに上西さんは話します。
そんな上西さんの作品には今もアイヌの痕跡が残っています。
靴ベラ入れ
出典:asatan
「なにか模様を入れようと思った時に、伝統的なアイヌ文様が思い浮かんだんだよね」と…。
そのほかの作品にも随所にアイヌの文様が彫られています。
木彫りのおぼん
出典:asatan
近くで見ると結構複雑に彫られていて繊細な作業がわかります。
シャケを咥えた熊
出典:asatan
定番といえるシャケを咥えた熊の作品の土台にも。
当時はこういった形の木彫りの熊をみんなで作っていたそうです。
狩りの様子を模した木彫り
出典:asatan
アイヌの狩りの様子を模した作品。
上西さんは、実際にアイヌの狩りに付いて行って、狩りを見せてもらったこともあるんだとか。
そんな貴重な経験をしたからこそ作れる作品のひとつです。
スマホスタンドになる木彫りの熊
出典:asatan
変わり種で、こちらのスマホスタンドも人気なんだそうです。
編集部Sのかなり大きなスマホを乗せても安定感抜群!
掘りながらバランスを考えて造るそうです。
現代のニーズに合わせることで、若い世代にも木彫りの熊に興味を持ってもらえるきっかけなっているそうです。
また、上西さんの作品は表情がかわいいとよく言われるそう。
形を変えながらも、長く愛され続けているアイヌの工芸品【木彫りの熊】。
今でも木彫りを続ける理由を伺うと「好きだからだね。元気なうちはずっと続けたいね」と迷わず応えてくれました。
アイヌの痕跡が随所に見られる上西さんの作品は、直売所で購入できるほか、札幌などでも販売しています。
出典:asatan
旭川に住んでいる方なら神居古潭は知っていますよね。
アイヌの人たちは、ここにも住んでいました。
神居古潭はアイヌ語で
カムイ(神)コタン(村)という意味なんです。
そんな神居古潭には、アイヌの伝説や痕跡がたくさんあります。
冬は立ち入り禁止ですが、今回は旭川周辺の自然の魅力を伝えるため、定期的に探検イベントを開催している『ミンタラ探検隊』と、旭川市と周辺6町が共同で推進する『大雪山カムイミンタラジオパーク構想』の協力のもと、特別な許可を得て実際に神居古潭へ行ってきました!
神の砦とされている『クッネシリ』
出典:asatan
神居古潭に到着!
あいにくの天気でしたがワクワクしながらいざ出発!
神居大橋前からは、神居古潭に住む神の砦とされている巨岩を見ることができます。
そんな神にまつわる逸話のひとつが魔神伝説です。
文章引用:大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会
なかなかゾッとする話ですが…
話を聞きながら見ると、景色が違って見えます。
いざ石狩川に架かる神居大橋へ。
神居大橋から見る冬の石狩川
出典:asatan
上川アイヌの人たちにとって重要な交通手段であった石狩川。
自然が多い場所だからこそ、食料や狩りの面で暮らしやすい部分が多かったんです。
冬の時期に見ると、凍っている部分や雪が被った部分、穏やかな流れの上を泳ぐ鴨など、様々な情景を見ることができます。
同行してくれた大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会事務局の友田さん
出典:asatan
神居古潭周辺にはアイヌの集落が多くあったことからその痕跡が多く発見されています。
「裁判などが行なわれた『チャシ』は、アイヌの人にとって聖地だったとされていた場所で跡もいくつかあります。伝説に出てきた魔神の頭も少し離れていますが近くにあるんです。ちなみにここへ来る時に通った国道の覆道は、魔神の胴体の真下なんですよ」と…。
いやいや、サラリと言ってますが友田さん、通っているときに教えてください!
魔神の頭は流木が絡んでしまっていて、今は見ることができません。
その現状を周知し、除去につながる活動を大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会は行っています。
流木で見えなくなる前の魔神の頭
写真提供:大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会
神居古潭周辺は、過去にプレート運動の境界に位置していたこともあり、地質的に珍しく、様々な岩があります。
縄文時代には、その岩を加工して石の斧などにも利用していたとか。
画像提供:大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会
「この周辺には1 億年以上前に地下で作られ、長い年月をかけて地表へと上がってきた岩たちがたくさんあります。地質学的に見ても貴重な場所で、石狩川の流れによって周辺の岩が削られ、今の複雑な地形になっています。アイヌの人にとっては、川幅が狭く流れが複雑なことから、交通の難所とされていたようです」と、ミンタラ探検隊代表の岩出さん。
図をみると、神居古潭周辺だけが深緑色や紫色に塗られていて、1億年前に地下深くでつくられた変成岩が分布していることがわかります。
その岩が石狩川の流れで削られ、複雑な形になっていったそうです。
このような危険な地形だからこそ、魔神伝説が生まれたのかもしれません。
魔神の足跡
写真提供:大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会
魔神の足跡も近くにあります。
綺麗に空いた二つの穴は魔神の足跡そのもの。
とても大きな穴で、魔神の巨大さがわかります。
そして探検も終盤に!
神居古潭トンネルを抜けると峡谷を一望できるスポットが。
神居古潭トンネルを抜けてからの眺め
出典:asatan
冬の時期ならではの雪に覆われた美しい景色。
【神の住むところ】の意味を体で体感できるような壮大な眺めです。
当時、アイヌの人たちもこの景色を見ながら、豊かな自然と共存していたんだろうと感じられました。
ちょっと余韻にひたりながら、出発地点へ戻るため神居大橋を渡っていると…。
空を飛び回るオオワシ
出典:asatan
探検隊の上空を飛び回るオオワシが!
実はこのオオワシ、出発の時も姿を見せていたんです。
アイヌ語でカパッチリカムイ(ワシの神)と呼ばれるオオワシ。
「挨拶にきてくれたのかな」なんて話しながら今回の探検を終えました。
いつも生活している場所から近いはずなのに、日常とはまったく違う景色を見ることができる神居古潭。
伝説の数々や、自然と共に生きてきたアイヌの生活をリアルに体感できるスポットです。
出典:asatan
ここ旭川でも、アイヌの人たちを知ることができる場所を紹介しました。
言葉での表現は難しいですが、アイヌの人たちが多く住んでいた場所だからこそ実際に訪れて感じられるものがありました。
文化や考え方に納得する部分がたくさんありました。
是非、みなさんも訪れてみてください。
この記事のキュレーター
施設までの道に架かる『チノミシリルイカ橋』
出典:asatan