2021年06月27日

旭川の歴史や文化を巡ろう!旭川市内の指定・登録文化財 その5

明治23年、上川郡に旭川・神居・永山の3村が置かれ旭川市の歴史は始まりました。130年にも及ぶ旭川の歴史や文化を刻んだ貴重な文化財が、現在もたくさん保存されています。今回は、旭川市内の指定・登録文化財の紹介第5弾です。


上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎)

photo:都良(TORA)

 

神居1条1丁目にある「上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎)」。旭川大橋の下にあるので、ほとんどの人が橋を渡っても気づかないのではないでしょうか。

そもそも、この建物は明治19(1886)年に北海道庁が農産試験所事務所として建設したもの。その後、現国道12号線の上川道路沿線には5つの駅逓(第一美英舎-第五美英舎)が設置され、明治22(1889)年に、この建物は駅逓として転用され、明治36(1903)年まで使用されました。

昭和41(1966)年に、上川地方に現存する最古の建物として旭川市文化財に指定されています。

施設名:上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎)
所在地:旭川市神居1条1丁目

上川倉庫群

photo:都良(TORA)

 

JR旭川駅に近い宮前通にある「上川倉庫群」は、平成13(2001)年に、国の登録有形文化財に指定されました。上川倉庫事務所
、一号倉庫、二号倉庫、三号倉庫、八号倉庫、十号倉庫、十一号倉庫が残されていて、二号倉庫はリハーサルホール、三号倉庫は旭川市民ギャラリー、十号倉庫はデザインギャラリー、十一号倉庫は大雪地ビール館として利用されています。

施設名:上川倉庫群
所在地:旭川市宮下通11丁目

北海道護国神社平成館(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)

photo:都良(TORA)

 

花咲町1丁目に位置する北海道護国神社の境内にある白壁の大きな建物が「北海道護国神社平成館(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)」です。

昭和9(1934)年に陸軍第七師団の北鎮兵事記念館として建設され,戦後は昭和43年(1968)まで旭川市の郷土博物館として使用されていました。

鉄筋コンクリート造一部二階地下一階建のこれほど大きな建物ものが、太平洋戦争前の昭和9年に建てられたとは驚きですね。

photo:都良(TORA)

 

「北海道護国神社平成館(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)」が、国の登録有形文化財に指定されたのは平成27(2015)年。

その時の文部科学大臣は、元プロレスラーの馳浩さんです。昭和のプロレスファンには懐かしい名前ですよね。

施設名:北海道護国神社平成館(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)
所在地:旭川市花咲町1丁目

最創山光岸寺本堂

photo:都良(TORA)

 

東鷹栖東1条3丁目、国道40号線に面する最創山光岸寺の境内の奥にある本堂は、国道から奥まった場所にあるため、今回初めて拝見しました。

旭川にこんなに大きな木造建築の寺院建築があったのかと感動しました。建てられたのは、大正14(1925)年です。

photo:都良(TORA)

 

道内でも有数の本格的寺院建築として、国の登録有形文化財に指定されたのは平成13(2001)年。

これだけ素晴らしい建築物が、旭川にあることを知らない市民が多いんじゃないですかね。旭川市は、もっとこのような財産を活用することを考えたらいいのにね。

山崎家住宅主屋

photo:都良(TORA)

 

昭和12(1937)年に建築された、曙2条3丁目にある「山崎家住宅主屋」は、個人の所有のため内部は見ることができませんが、ペチカのある居間を中心に、、南西に子供部屋、北に食堂と台所、東側に和室の座敷、二階は書斎と事務室があります。

外観は、玄関と二階の切妻屋根が特徴的で、平成25(2013)年に国の登録有形文化財に指定されました。

まとめ

今回は、旭川市が指定した文化財から「上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎)」、国の登録有形文化財の「上川倉庫群」「北海道護国神社平成館(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)」「最創山光岸寺本堂」「山崎家住宅主屋」をご紹介しました。改めて、自分たちが住む旭川の歴史や文化に触れてみてはいかがでしょうか。


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フリーのWEBライター。