※以下敬称略
2022年04月24日
2022年の今年は、旭川という地域ができて132年、市政は100周年の年。パート1となる今回は明治時代編! 知れば知るほど、このまちをもっと好きになれるはずです!※掲載時より記事の一部を変更しています
※以下敬称略
秋田県から移住した鈴木亀蔵は1877年、26歳の時に現在の石狩川と忠別川の合流地点に住居を構えた、上川地方初の和人定住者といわれています。
当初の目的はアイヌとの交易。誠実な人柄だったことや、アイヌの女性を妻にしたことなどから、周囲からは『亀吉』の愛称で親しまれていたそうです。
彼が住んだ地域は『亀吉島』と呼ばれ、現在もなお『亀吉』の名前が地名として残っています。
岩村通俊らの上川視察を再現した図
画像提供:旭川市中央図書館
ロシアによる樺太・利尻島の侵入を機に、幕府は北方警備の要所を決める調査を開始しました。
上川は「強風もなく、肥沃な大地で農作物の生育に最適」「北海道交通の要になる」などの報告を受けて1885年、開拓使判官の岩村通俊は屯田兵本部長の永山武四郎を連れて、近文山山頂から上川盆地を視察しました。
上川の開拓の必要性を確信した岩村は、翌年に道路の開削や農業試験場の設置を指示し、上川の歴史が始まりました。
左:岩村通俊 右:永山武四郎
画像提供:旭川市中央図書館
岩村通俊の後任となった永山武四郎は、主要都市としての上川開拓には本州から移民を誘導する必要性があると感じ、1889年、上川に北京(『北の都』の意)を置く意見書を内閣へ提出しました。
『北京』の名称は不適切と指摘を受け、天皇陛下の住まわれる『離宮』と改めた後、政府は異例の早さで上川離宮の設置を決定。
調査の結果、場所を現在の神楽岡に内定することが決定しましたが、札幌を始めとする地区からの猛反発があり、離宮の設置は実現しませんでした。
1904年 日露戦争へ向かう第七師団
画像提供:旭川市中央図書館
1896年に札幌で誕生した第七師団。軍隊の拡張に合わせ、旭川が北海道交通の要所であったことなどを理由に、1901年に鷹栖村近文へと移駐しました。
これに伴って、函館本線・滝川~旭川間の鉄道が開通したことなどから、呉服店・旅館・染工場を始め、雑貨屋や飲食店などが次々と旭川で創業しました。
3,600人ほどだった人口がわずか5年のうちに17,000人と急増。この時の軍都への期待が、現在までの発展に大きく貢献したのです。
■明治時代
1869 開拓史設置、8月15日に蝦夷地が北海道と命名される/上川を石狩国上川郡とする
1877 上川郡最初の和人定住者・商人第1号、鈴木亀蔵が現亀吉町に雑貨商を営む
1882 開拓使廃止、札幌・函館・根室の3県と北海道事業管理局を設置(上川郡は札幌県に属する)
1885 岩村通俊・永山武四郎一行、上川に入り近文山で視察
1886 3県1局を廃止、北海道庁を設置
1889 大日本帝国憲法発布/永山武四郎長官、上川離宮の建設を内閣に進言/内閣総理大臣が上川郡に1都府を設け、離宮を置く旨を長官に指示
1890 上川郡に神居・旭川・永山の3村を設置/忠和~愛別間までの中央道路開削
1891 永山兵村に屯田兵が入る/旭川村駅逓開設/杉沢繁吉が雨紛西5号で水稲試作に成功(上川地方最初の米作)/私立永山東・永山西小学校開校
1892 旭川兵村に屯田兵が入る/鷹栖・神楽の2村を設置/上川郡初の酒造業を笠原喜八が始める
1893 忠別尋常小学校開校(上川郡初の公立小学校)/旭川郵便局開局
1894 日清戦争が始まる(~1895年)
1897 丸井今井旭川店開店(2009年閉店)
1898 初代旭川駅完成/上川倉庫株式会社創立(上川地方初の株式会社)/東旭川村が設置される/旭川裁縫専門学校(現旭川大学高校)開校
1899 私立上川病院開業(上川地方初の病院)
1900 旭川町に改称
1901 北海旭新聞創刊(上川地方初の日刊新聞 1919年廃刊)/第七師団が移駐
1902 旭川地方気象台で氷点下41℃を観測(国内最低気温)
1904 日露戦争が始まる(~1905年)/初代旭橋完成
1906 上川馬車鉄道株式会社が営業開始(~1918年)
1909 北海道庁舎焼失
■大正時代
1913 2代目旭川駅完成
1914 第一次世界大戦が始まる(~1918年)/旭川町が旭川区となる
1916 常磐公園が開園
1918 旭川初の自家乗用車を歯科医が購入
1919 旭川監獄が開庁(現旭川刑務所)
1922 旭川区が旭川市となる
1923 関東大震災発生/日本赤十字社北海道支部病院が開院
1924 上川神社が神楽岡御料地内に遷宮、同頓宮を常磐公園千鳥ヶ島に造営/鷹栖村を東鷹栖・鷹栖・江丹別の3村に分割/市内バス運転開始/合同酒精株式会社が設立
1926 師団通完成(1945年に平和通と改名)
『旭川80年のあゆみ』(旭川市総務部市史編集事務局/旭川市/1970年)
『旭川自分史ノート』(平間順一ほか/あいわプリント/2010年)
『旭川 街並み今・昔』(北海道新聞社/2002年)
『旭川魅力発見伝』(旭川大雪観光文化検定編集委員会/旭川大雪観光文化検定運営協議会/2009年)
『(雑稿)旭川’小史点話』(玉井正利/2005年)
『写真が語る旭川 ~明治から平成まで~』(北海道新聞社/2015年)
『知らなかった、こんな旭川』(NHK旭川放送局/中西出版/2013年)
『我が青春の街角へ 旭川 昭和ノスタルジー』(ぶらんとマガジン社/2016年)
2022年の今年は、旭川という地域ができて132年、市政は100周年の年ということで、今回は明治時代の旭川の歴史を振り返りました。
次回、パート2では、昭和初期から中期までのできごとを紹介しますよ! お楽しみに!
【ねぇ、知ってる?】姿が変わった『旭川常盤ロータリー』のヒミツ | 旭川のことならasatan
https://asatan.com/articles/591旭川常盤ロータリーといえば、たくさんの自動車が行き交う円形の道路。旭川市民なら誰もが知っていると言っても過言ではありません。しかし、このロータリーが時代の移り変わりとともに様々に形を変えてきたことはご存知でしょうか? いつ、何のために作られたのかも合わせて、【写真付き】で紹介しちゃいますよ!
この記事のキュレーター
鈴木亀蔵
画像提供:旭川市中央図書館