2022年05月03日

手の噴水は移動していた! 旭川の歴史を振り返ろう【③昭和後期~平成時代編】

2022年の今年は、旭川という地域ができて132年、市政は100周年の年。ラストとなる今回は昭和後期から平和時代までのできごとを紹介! 知れば知るほど、このまちをもっと好きになれるはず!※掲載時より記事の一部を変更しています


※以下敬称略

道路から公園に変身した平和通買物公園【1972年(昭和47年)】

オープン時の買物公園4条付近の様子
画像提供:旭川市中央図書館

 

かつて、1日15,000台もの自動車が行き交っていた平和通。ここを安心して買い物が楽しめる空間にしようと、歩行者天国の構想がスタートしました。

オープン前の1969年には自動車を締め出す社会実験が行なわれましたが、大きな混乱もなく12日間で約80万人が訪れました。

その後1972年に平和通買物公園としてオープン。今もなお市民の憩いの場として愛されています。

当時公園の象徴だった「手の噴水」は、現在は8条通付近にありますよ。

生まれ変わった科学館 科学がもっと楽しく・身近に!【2005年(平成17年)】

1年足らずで入館者50万人を突破したサイパル

 

常磐公園内にあった『旭川市青少年科学館』が『旭川市科学館 サイパル』と名前を変え、2005年に移転リニューアルしました。

館内は以前の2倍の広さになり、「北国」「地球」「宇宙」と3つの常設展示コーナーが登場。設備も一新されたことで、見て・体験して・楽しんで科学を学べる、国内有数の科学館となりました。

当時最新のプラネタリウムが見られるということもあり、1年足らずで入館者50万人を突破。現在もイベント・ワークショップ・講演を開催するなど、多くの人に科学の魅力を伝えています。

ちなみに “サイパル”の名は一般公募によって採用されたもの。サイエンス(科学)とペンパル(文通友だち)を組み合わせた造語で、“科学の友だち”といった意味なんだとか。

北海道屈指の食の祭典 食べマルシェ!【2010年(平成22年)】

初回の様子 3日間で約80万人が訪れた
画像提供:旭川観光コンベンション協会

 

旭川村が始まって120年、旭川市となってから88年の米寿を迎えることを記念して始まった、食の一大イベント。

旭川市及び道北各地域の畜・農・海産物や、様々な交流がある国内外の味覚・名産品が一堂に集まるほか、豪華ゲストによるステージショー、豊作を祝う地域芸能の披露などが楽しめることとあって、第1回開催では3日間で約80万人が訪れました。

年々規模が大きくなり、2014年には100万人の来場を記録。記念すべき10回目の開催となる今年は、どんなおいしいグルメが集まるのか、今から楽しみですね。

【ギャラリー】写真で見る旭川駅舎の移り変わり

初代駅舎(1898年~1913年)

画像提供:旭川市中央図書館

 

2代目駅舎(1913年~1960年)

画像提供:旭川市中央図書館

 

3代目駅舎(1960年~2011年)

画像提供:旭川市中央図書館

 

4代目駅舎(2011年~)

出典:asatan

 

【年表】昭和初期~中期の旭川の主なできごと

■昭和時代
1969 平和通で歩行者天国実験を12日間実施
1970 旭川市の人口が30万人を突破/旭川出身力士の北の富士が横綱に/旭川市旭山動物園でロバとゼブラの混血種『ドブラ』が国内で初めて誕生
1972 札幌オリンピックが開催/平和通買物公園がオープン/市内電車が全線廃止
1981 第1回国際バーサースキー大会が開催(現バーサーロペット・ジャパン)
1982 道立旭川美術館が開館
1984 スタルヒン球場が開場
■平成時代
1995 阪神淡路大震災が発生
1996 大雪地ビール館が開館
1998 三浦綾子記念文学館が開館
1999 旭川環状線(道道90号)が全線開通
2004 旭川市旭川動物園の月間入場者数が日本一に
2005 旭川市科学館『サイパル』が開館
2009 旭川赤十字病院で最北のドクターヘリの運航が開始
2010 第1回北の恵み 食べマルシェが開催/旭川市のシンボルキャラクター あさっぴーが誕生
2011 東日本大震災が発生/4代目旭川駅が完成
2014 北彩都あさひかわが完成
2015 イオンモール旭川駅前が開店
2016 西部旭川店が閉店
2018 旭川空港国際線ターミナルがオープン

参考文献

『旭川80年のあゆみ』(旭川市総務部市史編集事務局/旭川市/1970年)
『旭川自分史ノート』(平間順一ほか/あいわプリント/2010年)
『旭川 街並み今・昔』(北海道新聞社/2002年)
『旭川魅力発見伝』(旭川大雪観光文化検定編集委員会/旭川大雪観光文化検定運営協議会/2009年)
『(雑稿)旭川’小史点話』(玉井正利/2005年)
『写真が語る旭川 ~明治から平成まで~』(北海道新聞社/2015年)
『知らなかった、こんな旭川』(NHK旭川放送局/中西出版/2013年)
『我が青春の街角へ 旭川 昭和ノスタルジー』(ぶらんとマガジン社/2016年)

おわりに

2022年の今年は、旭川という地域ができて132年、市政は100周年の年ということで、3つのパートに分けて旭川の歴史を振り返りました。

市内にも路面電車が走っていたことや、買物公園がかつて道路だったことなど、知らないこともあったのではないでしょうか?

いよいよ時代は令和に突入しました。これから旭川市がどのように発展していくのか、今から楽しみですね♪

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この記事のキュレーター

asatan公式アカウントです。
旭川とその周辺地域に関連するイベント、グルメ、観光、くらしに役立つ情報などなど、ドシドシご紹介しますのでお楽しみに!