はじまりは、狸小路!?
旧陸軍第七師団が旭川にあったのはご存じの人も多いでしょう。
そのため軍の御用達商人の出入りが多く、将校を相手にした高級料亭や、「見番」と呼ばれていた置屋もたくさんありました。
そりゃ~夜の街は芸者衆で煌びやかだったそうです。
ただ、庶民には、そんな煌びやかな世界は縁遠く……。
ところが、1955(昭和30)年頃。
現在も4条通6丁目に店を構える「吉田金物店」の先代 吉田松之助氏が庶民が集まれる飲み屋街にしようと立ち上がった!
おでんや焼き鳥を肴に庶民が気軽に入れる飲み屋4~5軒が同居する集合店舗を作りました。
その名は狸小路。
えっ!と、ちょっとザワザワしちゃいますが、当時すでに賑わっていた札幌の狸小路にあやかってのこと。
その松之助氏の思いが通じたのか狸小路を中心にキャバレーやクラブなどが次々と開店。
1965(昭和40)年前後には続々と飲食店が増え始め、大いに賑わい活気にあふれていたそうです。
そんな飲み屋街を記事にすべく、ある新聞社が「三・六街」と表現したことで、さんろくと呼ばれるようになったようです。
キャバレーとは
日本において1960年代から1970年代に流行した、ホステスが客をもてなす飲食店。料金は時間制で"明朗会計"、ショーを行うステージや生バンド付きのダンスホールがあり、より大衆化した1970年代以降はおさわりなど、お色気サービスを伴う店も登場した。
■今もエリアは不明瞭
今もハッキリとした線引きはありません。
2条から5条、5丁目から8丁目を結んだあたりをさんろくと呼んでいます。
この約400メートル四方のなかに、約1,000店!
そしてさんろくと名の付く住所もありません。
北海道一の歓楽街 札幌のススキノと同じですね。
狸小路の名残小路がいっぱい!?
さんろくの発端となった旭川の狸小路は時代とともに無くなってしまいました。
ただ、飲食店が集まってい小路がさんろくにはたくさんあります。
「すずらん小路」「5・7小路ふらりーと」などの名称がついた小路や、ただただ飲食店が密集している名前もない小路まで…。
ひょっとしたら狸小路の名残かもしれませんね。
さんろくで働く人たちがダンス!?
『さんろく祭り』や『さんろく感謝の日』『広げようさんろくの輪』など、1年を通してさんろくを舞台にした多くのイベントが開催されています。
特に、旭川夏まつり期間中に開催されるさんろく祭りは、さんろくにあるお店が露店を出し、威勢のいい声と食欲をそそる匂でお客さんを楽しませます(^^)
そのほかにも神輿やYOSAKOIソーランナイト、花魁ミュージカルなどイベント盛りだくさん!
旭川の暑い夏を、さらに熱くするまつりです。
その活気に魅せられ、毎年多くの人が足を運びます。
クリーンな歓楽街!?
多くの旭川民がまつりやイベントなどで気軽に行っているさんろくだけど、それでも“ちょっと怖い”と感じている人にとっての、その“怖さ”とは何なのか?
ひょっとして?夜になると違う顔が…例えば「客引き」や「ぼったくり」とか?
■【さんろく】は客引き禁止区域
基本的にさんろくには客引きはいません。
言い切るのは難しいですが、旭川市は2014(平成26)年7月から【旭川市客引き勧誘行為等の防止に関する条例】を、法令効力のもと実行しています。
つまり、風俗営業やキャバクラ・ニュークラブ・パブ・クラブへの客引き行為は逮捕されます。
客引きが防止されているエリアは、2条通から4条通の6丁目から8丁目。
場所は、そのエリア内の道路・公園・駅・興行場・飲食店のほか、公衆が通行したり出入りできたりするところ。
つまり全域ですね。
しかし、いくら法律で禁止されていても、破る輩はいるワケで…。
なので、客引きと思しき輩から声を掛けられても話しに乗らないことが鉄則です。
ぼったくりのお店も同様です。
テレビや映画に登場するような高額請求をするようなぼったくり店はありません。
少額だとしても無いに等しいです。
ただ、お店のシステムや金額を確認せずに、接客してくれるスタッフに「飲んで飲んで、食べて~♪」なんて気前よくやっていると、お会計がトンデモナイこと(^^;になったりもします。
かわいい女の子を前にしても、いくら酔っぱらったとしても、しっかり自分のお財布と相談しながら楽しめば問題なしってことですね。
まとめ
いかがでしたか?
さんろくは、日本各地の歓楽街と称される飲み屋街のなかでも『クリーンなマチのひとつ』と言われています。
観光・出張などで旭川へ来た、あるいは転勤などで新しく旭川人になったなど、初めて行く人も楽しく食べて飲める場所なので、ぜひ気軽にさんろくへ行って楽しんでください。
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