旧旭川偕行社
「旧旭川偕行社」は、旧陸軍第七師団の将校たちの社交場として明治35年に建てられました。終戦後は、進駐軍の将校クラブとして利用されたこともあります。
昭和43年に、復元修理工事をして「市立旭川郷土博物館」として活用。現在は、「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」となっています。
西洋風の本格的なクラブ建築の特徴を持っていて、その美しいデザインから平成元年には国の重要文化財の指定を受けています。
施設名:中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館
所在地:旭川市春光5条7丁目
電話:0166-46-6277
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
駐車場:あり
神居古潭竪穴住居遺跡
「神居古潭竪穴住居遺跡」は神居古潭のつり橋から約1.5キロメートルの石狩川左岸にあるそうですが、自分は実際に見に行ったことはありません。旭川市民でも、行ったことがある人はかなり少ないのではないでしょうか。しかし、写真は「旭川市博物館」に展示されています。
約3.5ヘクタールもの広さの中に、竪穴二百数十基とチャシコツ(砦跡)1カ所が存在しています。住居跡は、一辺の長さ約5メートルの正方形で、深さ約1メートルあり、内部には炉、柱穴、カマドが作られています。発掘された遺物は、擦文式土器、紡錘車などで、奈良末期から平安時代にかけてのものです。昭和32年に、北海道指定の文化財(史跡)となっています。
永山屯田兵屋
旭川は明治24年に永山村、明治25年に旭川村(現在の東旭川)に屯田兵が入植して開拓が始まりました。永山村と旭川村には各400戸の屯田兵屋が建設されましたが、現在も残っているものはほとんどありません。
旭川市博物館の中に展示されているものは、明治24年に永山屯田として入植した人が使用していたもので、昭和45年に旧偕行社の隣に移転復元され、旭川市の指定文化財として指定されました。現在は、博物館に展示され建物の内部や当時の生活用具などと合わせて見学することができます。
錦町5遺跡出土の斧柄
「錦町5遺跡」は、擦文時代の集落跡で,昭和57年から昭和62年にかけて発掘調査が行われ、平安時代の竪穴住居跡や鍛治遺構、旧河川跡などが発見されました。この木の斧柄は、河川跡から出土したものです。木製品は腐食しやすく、極めて貴重な出土例として、昭和61年に旭川市指定文化財に認定されました。現在は、旭川市博物館に展示されていて見ることができます。
施設名:旭川市博物館
所在地:旭川市神楽3条7丁目(大雪クリスタルホール内)
電話:0166-69-2004
開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日:第2・第4月曜日(祝日に当たる場合はその翌日)、年末年始
駐車場:あり
まとめ
今回は国が指定した文化財の「旧偕行社」、北海道が指定した文化財の「神居古潭竪穴住居遺跡」、旭川市が指定した文化財の「永山屯田兵屋」「錦町5遺跡出土の斧柄」をご紹介しました。改めて、自分たちが住む旭川の歴史や文化に触れてみてはいかがでしょうか。
フリーのWEBライター。