世界のヨガ
多くの人は「ヨガ=インド」というイメージを持っていると思いますが、現代ではヨガも多様になり様々な場所で本格的なヨガが行われています。
ここ最近ではインドネシアのバリ島などで世界中からヨガの達人が集まりハイレベルなヨガのクラスが行われていたり、中米のグアテマラではアトランティ湖という周囲に、コアなヨガ指導者などが多く滞在し多くの欧米人がゆったりとした空気の中ヨガを学んでいます。
もちろんアメリカやカナダ、ヨーロッパなどでも有名な指導者などが多くの弟子を育てて活躍しています。
「ヨガ=インド」ということ自体に変わりはないのですが、現在ではヨガの種類や方法が多様化し新しいヨガも増えています。
インドでヨガをやる
インドにて友人とヨガの先生
インドでのヨガと言ってもインド北部で受けるヨガとインド南部で受けるヨガとでは違ったものがあります。
個人的な印象ですとヨガの初心者などが北部に集まり、一定の経験を超えると南部のヨガに移行している人が多いように感じます。あくまで個人的な印象ですが。
今回はインド広しと言えど、ヨガが発祥したと言われる町リシュケシュでのヨガのお話です。
■アシュラム
リシュケシュという山に囲まれた小さな町では、町の中に多くのヨガアシュラム(教室)が存在します。
宿泊施設が併用しているアシュラムから個人宅まで様々なアシュラムが経験できるのがリシュケシュの面白いところ。
場合によっては家すら持っていないヨガの達人も存在します。
本場インドのヨガスタジオ
因みに彼は5年の間、一言も声を出しておらず全ては筆談で会話をするヨガの達人。
何を書いてもらっても何が言いたいかあまりよくわかりませんでしたが。
この町ではビートルズがこもって瞑想をして作り出した曲があるので、そこのアシュラムは「ビートルズ アシュラム」という名前がついています。
■価格は?
リシュケシュでのヨガは一回だけの単発から数ヶ月や数年単位での受講が可能です。価格は個人宅でやっているところから、しっかりと施設を構えて行なっているところもあるのでピンキリですがスタートは日本円で100円程度から可能です。
また施設でそのまま宿泊するかしないかでも違いますし、瞑想だけのクラスもあります。大きなアシュラムですと日本語の通訳などもあるはずですので、確認することをお勧めします。
個人宅でのヨガクラス看板
町での滞在費も安いところですと200円くらいから宿泊ができますし、食事も50円程度から食べれますので、長期滞在にはリーズナブルな生活ができる町となっています。
金銭の心配をせずにヨガに没頭できるところではないでしょうか。
■実際どんな感じ?
こんな感じ。
一番ベタっぽいそれなりのヨガポーズを決めていますが、小一時間のヨガのクラスを終えると、次の日の朝は歩くのも大変なくらいの筋肉痛。
特に大切なことは“呼吸”を学ぶこと。様々な動きをするのですがその一つ一つの動作の中でゆっくりと呼吸を観察しながら行うことで体との調和をはかります。
僕が習ったヨガはアシュタンガですが、その他にもハタヨガやアイアンガーヨガなど主に3種類のヨガがあります。
後ろを流れるガンジス川は比較的上流にある町なので汚くない程度のガンジス川です。
リシュケシュに来る人
リシュケシュには世界中から多くのヨガの講師や旅人が滞在する町です。
基本的にはオーガニックの食べ物はもちろん、美容用品や薬までもがオーガニック製品として町の中で売られているので、それらを買い付けに来るバイヤーも訪れています。
(右)ロシアとフランスからやってきた旅人
本格的にヨガの修行にくる人なら数ヶ月から数年単位で滞在をしています。ここでは普通のことで世界各国から集まってきています。
町の中ではヨガのアシュラムだけでなく、レイキやアーユルヴェーダなど様々なセッションを受けることもできます。
■サドゥーにすれ違ったら
リシュケシュには多くのサドゥー(修行僧)が訪れています。
彼らはインド中をほぼ食器のみの持ち物で旅をしています。
金物でできた入れ物に施しをもらって旅をするサドゥー
彼らとすれ違うときは手を胸に当てて「ハリオーム」と挨拶をするのが礼儀です。
ヨガをやっている人ならお気づきかもしれませんがヨガでは「オーム」と発声をすることがあります。サドゥーの挨拶も同じく「オーム」という言葉が入ります。
旭川のヨガスタジオ
下記のリンクに旭川のヨガスタジオをまとめたサイトを掲載しておきます。
インドや外国まで行けなくとも旭川市内でも様々なスタイルがあるので色々なヨガを体験してみるのはいかがでしょうか?
日本でのヨガ講師もクオリティーが高く、本場でレッスンするのと変わらない所もたくさんあります。また、地域でのコミュニティーセンターなどでもヨガのクラスなど行なっていますので、そちらもチェックしてみてください。
バドミントン元全日本ジュニアチャンピオン。20代半ばよりオーストラリアで生活後、アジア、南米、北米を1年半放浪。帰国後は沖縄の宮古島、兵庫の淡路島などで島生活を経てバドミントンネパール代表のコーチに就任。その後メキシコでジュニア代表もコーチし、マヤ族と一緒に生活。海外ではクリスタルやオパールなどの天然石の買い付けも行い、マクラメジュエリー、アトリエ「名もなき石屋」を幌加内で運営。著書にノンフィクション「旅を終えると君の余命は1年だった」を出版。英語、スペイン語、手話での会話が可能。