旭橋純愛白書物語

旭橋純愛白書物語

北海道の中心に近い旭川のシンボル旭橋。明夫は毎朝旭橋の手前からバスに乗ってくる女学生を楽しみにしていた。しかしいつも後ろから眺めるだけで、声をかけることすらできなかった女学生。名前も知らずまま卒業してから2年。旭橋で初めて開催された花火大会で再び出会うことになるその女性と共に、時を刻む旭橋との淡く切ない物語。


旭橋前のバス停から乗る女学生

明夫はその女学生がバスに乗ってくるのを毎朝密かな楽しみとしていた。

学生服からどこの学校の生徒かは分かってはいたものの、名前は知らない。

旭橋の手前にあるバス停からいつも乗ってくるその女学生は、毎朝決まって入り口手前の席に座ると、学生カバンから本を取り出し読んでいた。

いつも女学生の後ろ姿をバスの後部座席から見ていた明夫は、時より女学生が振り返りそうになると決まって窓の外を眺めているふりをした。

学校ではクラスの中でお山の大将を気取って威勢がいい割には、毎朝同じバスに乗る女学生のこととなると、その成りは全くをもって影をひそめた。

明夫が初めて恋をしたのは、旭橋の手前から毎朝乗車する名も知らぬ女学生だった。

胸の高鳴り

女学生とのバス通学は3年間毎日一緒だった。一緒だったと言っても同じバスに乗っていたというだけで、女学生と話すことはおろか、目が合うこともなかった。

木々が川沿いを緑に染める時も、降り注ぐ雪が旭橋を白の世界に染める時も、毎朝旭橋を走るバスの中で明夫は女学生の後ろ姿を眺めては、胸の高鳴りを感じていた。

明夫にとってその女学生のことを考えるだけでもどかしいほどの初めての恋。女学生の名前さえ知ることもできず、どのようにして知り合うきっかけを作ればいいのかも分からなかった3年間。

自分にとって高嶺の花のように映る女学生は毎朝何一つ変わらず、決まって入り口付近の席に座り本を読んでいた。

時は昭和初期。旭川のシンボルとなる旭橋が人々の心と心を繋ぐ橋渡しとなった時代だった。

旭橋花火大会

高校を卒業し、旭川の地元企業に勤めた明夫は会社の同僚達に旭橋の川沿いで初めて開催される花火大会に誘われていた。初めて開催される花火大会に市民は盛り上がりと興奮を隠しきれず、すでに数週間前から会社の中では花火大会の話で持ちきりだった。

明夫も例外ではなく、初めての花火大会を会社の同僚達と酒を飲みながら花火を見れることが楽しみで仕方がなかった。

そんな旭川で初めてとなる大きなイベントに、同僚は男だけで花火を見るなんてもったいないと、得意先の会社で働く女性社員と一緒に花火が観れるように声をかけていた。

若い男女が旭川で初めて開催される花火大会を一緒に観る。楽しみにしていたのは男性陣だけではない。女性陣もまた初めての花火大会を心待ちにしていた。

その日の仕事は夕方にはどこの会社も終業していた。もちろん花火大会に間に合わすためだ。

旭橋の周辺には旭川中から市民が集まった。活気と市民の高揚感は今までにないほどの熱気を帯びていた。多くの屋台が軒を連ね、夕暮れ前から多くの市民が花火大会の準備を心待ちに見物していた。

明夫と会社の同僚たちは、旭橋の下を流れる石狩川の土手に場所を陣取り、何枚ものゴザを敷いて女性陣も座れるほどのスペースを確保していた。初めて観る花火大会と、どんな女性たちが来るものか興奮を隠しきれず、饒舌に話す同僚達。酒の勢いもあってか、明夫もまた同じだった。


三十分ほどすると、迎えに出向いていた一人の同僚が若い5人の女性を連れてようやく明夫達の元へ戻ってきた。5人の女性は少し照れくさそうに「はじめまして」と挨拶をしたが、明夫の心臓が止まりそうになったのは、あの毎朝同じバスに乗っていた女学生がその中にいたからだった。

「どうぞ座ってください」

そう話しかける同僚をよそに明夫は口から飛び出そうな心臓を抑えることで精一杯だった。さっきまで饒舌に話していた明夫の口数が少なくなり同僚が冗談交じりに頭を叩いた。

「明夫!お前この美人達を目の前に緊張してるんだろ!」

それを見ていた女性陣は大きく笑い、若い男女は一気に打ち解けた。

そんなまさかの出来事に加え、明夫の隣にその女性は腰を下ろした。

学生時代、毎朝バスの後部座席から眺めていた女学生。お互いに学校を卒業し2年の月日が流れていた。

再会

間も無くすると花火大会が始まり、人々の熱気はさらに増した。

「たまや!」

どこからともなく掛け声がかけられると、次々と打ち上げられる花火につられるように人々は声を上げた。明夫の同僚達もまた同じだった。

「よっ!たまや!」

酒で酔った同僚達が大声で叫ぶと、女性陣も気分良く声を上げた。そんな彼らをよそに、明夫は隣に座る彼女のことで緊張から声をあげることさえできなくなっていた。

彼女がそんな明夫に気を使ってか「お酒注ぎましょうか?」と声をかけると、明夫は軽く会釈をしてコップを差し出した。

「あ、あの、お名前はなんと言いますか?」

「陽子と言います。桜木陽子です」

明夫は注がれた酒をグイッと飲み干すと「わ、私は山口明夫です!」と答えたが、一尺玉の花火が打ち上がり大きな花火音で、明夫の声はかき消された。

陽子はクスッと笑いもう一度明夫のコップに酒を注いで、

「花火の音で聞こえませんでしたわ。もう一度お名前を聞いてもよろしいですか?」と聞き直した。

明夫は再びコップに入った酒を飲み干して「はい!山口明夫です!よろしくお願いします!」と今度は周囲が驚くほどの大声で答えた。

あまりの声の大きさに同僚が「何がよろしくお願いしますだ!」と明夫の頭を小突いた。皆一気に大笑いし、陽子もまた肩を揺すって笑った。

明夫は周りと同じように打ち上がる花火に視線を向けてはいたが、隣に座り酒を注ぐ陽子の美しさに緊張しっぱなしだった。

どれだけ酒を飲んでも酔えない花火大会。明夫の恋心はまたもや旭橋によって点火させられた。

惹かれ合う二人

明夫と陽子は花火大会が終わった後も度々会うようになった。

そんな明夫を見て同僚は「俺たちのおかげだ」とからかったが、あながち間違いではなかった。陽子は他の同僚達と違って、物静かに酒を飲む明夫に少し魅力を感じていた。本来なら同僚達と一緒に騒いで酒を飲む明夫であったが、あの時陽子が隣に座り緊張してしまったのが功を奏した。

付き合い出したら付き合い出したで、時より見せる明夫の男らしさもまた陽子にとっては魅力的だった。

花火大会で再び出会ってから1年。陽子は明夫からの結婚の意思を告げられると快く受け入れた。

明夫にとって初恋の相手が結婚相手となったが、陽子もまた同じだった。

家族

ほどなくして明夫と陽子は子供を授かった。初めて授かる子供に息つく暇もなく二人目、三人目と、一男二女の子宝に恵まれ、明夫の仕事も忙しくなった。

休みの日には子供達を連れて、旭橋近くの公園で家族の時間を過ごし、明夫と陽子が初めて会話を交わした花火大会も今では三人の子供を連れて毎年のように楽しむことができるようになった。

小さな喧嘩はあるものの、互いの愛情と尊敬が薄れることはなく、陽子は昭和を代表する妻のように家庭を守り明夫は仕事に翻弄した。

時代が経済的な豊かさをもたらすと同時に、旭橋を往来する車の数もまた徐々に増えていった。


                      *


やがて子供達も大きくなり、明夫と陽子も歳を重ねていった。

三人の子供達は大きく道を外すこともなく、東京の大学へ進学しそれぞれがそれぞれの得意な分野を活かして就職を果たした。

明夫も陽子も子供の心配をすることもなく、彼らの成長を見守った。

「あっと言う間にあいつらも大きくなったな」

「そうですね。ついこの前まで一緒にここで花火大会を見ていたのに」

そんな話をしながら旭橋の河川敷を散歩するのが二人のたまの楽しみとなっていた。

釣りをする人、ジョギングをする人、子供とキャッチボールをする親子、肩を寄せ合う学生カップル。旭橋の河川敷は時代と共に様々な人間模様が形成された場所でもあった。

時はすでに昭和から平成へと移り変わっていた。

告白

いつもと何一つ変わらないよく晴れた朝だった。

トイレに行ったはずの陽子がしばらくしても出てこないことに明夫が気が付いたのは、少し時間が経ってからだった。

異変に気が付いた明夫はトイレの前まで行き名前を呼んだが返事はなかった。慌ててドアを開けるとそこには意識を失いぐったりとした陽子が前のめりになっていた。

明夫は急いで救急車を呼び何度も「陽子!陽子!」と叫び頰を叩いた。何かがあってもおかしくはない年齢ではあったが、今まで大きな病気もすることなく突然の出来事に、明夫の頭の中は混乱していた。

間も無くして救急隊員が駆けつけると、彼らは陽子をタンカーに乗せて救急車へと運んだ。明夫はおろおろとするばかりで、何をどうして良いのか分からないまま上着だけ着て一緒に救急車へと乗り込んだ。

救急車の中で陽子の手を強く握り我をも忘れて陽子の名前を叫び続けた。

変わらない想い

救急車は響き渡るサイレンを鳴らしながら病院へと向かっていた。

意識を失い身動き一つしなかった陽子がかすかに目を覚ましたのは、救急車がちょうど旭橋を通過する時だった。

「陽子!分かるか!陽子!」

明夫が手を強く握ったまま陽子に話しかけると、陽子はうっすら目を開けて声を振り絞るようにして話し始めた。

「あなた、昔ね私と毎朝同じバスで学校に通っていたでしょ。本当はあの時からあなたのことが好きだったのよ私。花火大会で出会った時、運命だと思ったわ。ごめんなさいね、今まで黙っていて」

明夫は大粒の涙を流しながら、陽子の手をさらに手を強く握った。

「陽子、俺も好きだった。ずっとバスの後ろの席からお前を眺めていた。どうして声をかけていいか分からず、黙っていたがお前が旭橋のバス停からバスに乗ってくるのが楽しみで楽しみで仕方がなかった。あの時から変わらずお前のことが好きなんだ」



別れは唐突だった。

この会話を最後に陽子は目を覚ますことはなかった。

後に病院の先生は言った。

「救急車の中で目を覚ましたのは奇跡としか言いようがありません。医学的には考えられないことですよ」


明夫は旭橋を通るたびにその言葉を思い出す。


旭川の中心に美しくも優雅にそびえる旭橋は、愛する誰かの人生と共に時を刻んでいる。






旭橋純愛白書物語


画像:遠藤なな 奥寺和孝


・この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません

この記事のキュレーター

バドミントン元全日本ジュニアチャンピオン。20代半ばよりオーストラリアで生活後、アジア、南米、北米を1年半放浪。帰国後は沖縄の宮古島、兵庫の淡路島などで島生活を経てバドミントンネパール代表のコーチに就任。その後メキシコでジュニア代表もコーチし、マヤ族と一緒に生活。海外ではクリスタルやオパールなどの天然石の買い付けも行い、マクラメジュエリー、アトリエ「名もなき石屋」を幌加内で運営。著書にノンフィクション「旅を終えると君の余命は1年だった」を出版。英語、スペイン語、手話での会話が可能。

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