廃線をめぐる概況
ことの流れをざっくりとおさらいしておこう。
1910年(明治43年)に、深川市と留萌市を結び開業した留萌本線。
一時は増毛町まで延伸したが、2016年(平成28年)に留萌駅 - 増毛駅間が廃止となっている。
2023年3月31日時点では、深川駅・北一已駅・秩父別駅・北秩父別駅・石狩沼田駅・真布駅・恵比島駅・峠下駅・幌糠駅・藤山駅・大和田駅・留萌駅があったが、2026年3月末をもって廃止が決定。まずは本年3月末をもって石狩沼田ー留萌間が廃止となった。
留萌駅
国道から駅に向かう道すがら、留萌駅の名残を見つけた。
案内標識にはまだ「留萌駅」の文字が。こうした標識は他にも確認できた。駅はないが、駅前の市場や飲食店を目指す観光客には役立っていると思われる。
近未来的は消去されるのだろうか。あるいは史跡として「旧留萌駅」とでも表記されるのか。
標識の案内に従い進むと見えてくる駅舎。駅を含め駅前の風景は以前とほどんど違いはないように見える。
一見、寂しい街並みとも取れるが、実は、自由市場の鮮魚店は賑わっているし、近年開業した飲食店などもあり、休日は人通りがけっこうある。
それだけに、今回の一件は残念だ。
旧駅舎全景(上画像)。
窓が内側からふさがれているが、外観そのものは大きな変化はない。
また、駐車場は解放され、駅前の商店や飲食店に向かう人々が車を停めている。
おや、タクシーが1台。乗降客はないのにタクシーとは?
習慣でつい来てしまったのか(笑)、さぼっているのか(まさかこんな所ではやらないでしょ)。
実はこの建物、留萌駅は廃駅となったが、中には「北海道水産物検査協会」や「エフエムもえる」が入居が継続されている様子。タクシーはそのためか。
2階壁面には、かつて「JR留萌駅」の文字が張り付けられていた形跡が。
それにしても、建物には補修に補修を重ねた跡が痛々しい。
ちなみに当駅の開業は1910年(明治43年)。現駅舎に建て替えられたのは1967年(昭和42年)というから、建物はけっこう年季が入っている。
緑色のテントのその内部は、「留萌駅立喰そば」があった箇所。以前は窓からそばを出していた。
にしんそばが名物で、閉鎖間際は行列ができたそうな。自分も食べておけばよかったなと後悔する筆者である。
時系列の詳しくは分からないが、30年位前のその頃は、「きしめん」の暖簾が下がっていたと記憶している。留萌港でチカ釣りをした帰り、きしめんを食べたのだが、帰り道おなかが痛くなって難儀した思い出が今でも(腹痛はたまたまの事。きしめんのせいではないと思う)。
立喰そばは、近所で働いている方や観光客の来店が多かったとも聞く。
テナントとして、続けたらどうなんだろ、と思う筆者である。
上画像は、前掲の駅舎全景でいうところの向かって右側。バリケードによって侵入することはできない。
駅構造は、かつては相対式2面2線だったが、ここ数年は事実上単式1面1線の運用となっていた。
駅舎と向こうの島式ホームを結ぶ跨線橋が手つかずで残されている。
高倉健さん主演映画「駅STATION]で、すず子(烏丸せつこさん)が体調を崩し階段でうずくまるシーンが撮られたのがこの跨線橋だ。
上は、駅舎向かって左側。こちらもバリケードが施されている。
この辺りは一般の乗降客の出入りがないために、ホームの補修も手薄だったのか、2か月前には稼働していた駅にも関わらず廃墟感がすごい。
訪ねたその日。
屋根裏の鉄骨部分には、たくさんのスズメの鳴き声が賑やか。
廃駅も、代わってスズメのお宿になったと思えば、いくらか慰めになる。
大和田駅
かつての留萌線、留萌駅を発って最初の駅が「大和田」だ。
某マップで「大和田駅」を検索したら、「史跡」との記述が。
平成、令和にあってはその実感に乏しいが、そうだ、留萌線は北海道の発展に貢献した確かな歴史があるのだ。
で、大和田駅。
まずは、かつての姿をご覧頂く。たしか3年前に撮ったもの。
当駅の開業は1910年(明治43年)。
綺麗に塗装されただるま駅。
駅舎(貨車)のカタチや色は本記事後編に掲載の幌糠駅と同じ。
同時期に合わせて工事されたものと推測される。
【だるま駅】廃車になった貨車や車掌車を、駅舎に改造転用した駅舎のことを貨車駅といい、車輪がないことから、足のない「ダルマ」に例え、そんな通称になった。
内部は椅子があるだけの、至って簡素なインテリア。
この時は、トイレは閉鎖されていた。
上り、留萌方向
下り、留萌方向
駅構造は単式1面1線。
だが、かつてはホームと駅舎の間にも線路があり、列車交換が可能な島式2面2線だったそうな。
駅長様からこんなお知らせが!?
すぐそばに国道が走ってはいるものの、こうなると秘境ムード満載だね(笑)
で、現在はといいますと・・・
駅舎は以前のまま。駅名も元のまま表示されている。留萌駅は剥がし取ったかのように駅名の文字盤を取り外していたのに、なぜ大和田は?
外観からは何も手がかけられていないように見えたが、待合室の扉にはじょっぴん(北海道民、つい錠のことをこう呼んでしまう筆者)がかけられていた。
さらに、プラットホームは以下のように。
施工の趣旨は「とにかくホームには立ち入るな」「線路に立ち入るな」ということだろう。
もともと無人駅。勝手にホームに上がれるし、線路にも(それはダメです)というムードが激変だ。
ここまでやるか、とも思ったが、これが管理者の「責任」というやつなんでしょうな。
画像、鉄骨ばかりで分かりにくいが、駅名標(駅名や次駅を表示した看板)も取り外され枠だけが残っている。
取り外したと思いたい。盗難じゃないよね。
鉄の中にはこういうものを欲しがり窃盗に及ぶクズがいるからね。
と、いささかの不安を抱きつつ次駅へ。
旧大和田駅跡 インフォメーション
藤山駅
国道沿いにある駅。昔ながらの木造駅舎が独特の趣を醸し出していた。
車で留萌を行き来していた方の中には、あ、何となく記憶にあるかも、という方もいらっしゃると思う。
日中は逆光になるので駅名もよく見えない。
そのためか、知人の多くは地域の会館かと思ってた、と。
敷地内には、地域の開拓碑が建立されていて、かつては辺りが地域の要所だったことを窺わせる。
上画像は駅舎裏(ホーム側)。張り出した屋根を支える柱がアンティーク。古い駅舎にはこうした造りが多い。
駅構造は、廃止時点では単式1面1線だが、かつては交換可能な千鳥型相対式2面2線だったそうな。
そして、本年4月1日以降は、ご覧の通り。
「藤山駅」の表札は外され窓と出入り口は板で塞がれている。
撮ったのは6月。にしては木に葉がついていない。ついに枯れてしまったか。
開業は前傾大和田駅と同じ1910年(明治43年)。
勝手な想像(妄想ともいう)だが、この木、その頃に植えられたもので駅の終末と共にその樹齢を終えた、なんて話があったらドラマだろうな。
駅舎は閉鎖され、また、その周囲からもホームに侵入できないようバリケードが施されている。
また、駅名標も取り外されている。
駅の裏側がどうなっているかは、うかがい知ることができない。
開拓碑は以前のまま。
まあ、これについてはJRとは関係ない訳で、その後、あたりは駅舎が取り壊され開拓広場的に存続するのだろうと筆者は想像する。
それにしてもだ。
この閉鎖の仕方が実に興味深い。
出入り口と窓を板で塞いだおかげで、なんともモダンなデザインに。
ひょっとして何か狙ってる?
だって、出入り口に張った板の色が違うとか、何か思惑があるとしか見えないのは筆者だけだろうか。
まあ、いかにも廃墟な雰囲気がなくて良い。
美味しいもの、旨い酒を味わう時間が何より大事。
不惑の呑兵衛を目指すべく、きき酒師の資格を取得。
・SSI認定FBO公認 きき酒師
・日本酒WEBメディア SAKE TIMES ライター