三谷商店
■きっかけは「駄菓子は置いてないの?」の子どものひと言
さんろく街から少し離れた、住宅街に位置する小さなお店【三谷商店】。
駄菓子を求めて、小学生から高校生まで多くの子どもたちが訪れます。
出典:asatan
こちらのお店をひとりで切り盛りしているのは三谷悦子さん。
もうすぐ70歳になるという。
お店が誕生したのは1964(昭和39)年。義父の晃さんが雑貨屋として始めたお店を、嫁入りした悦子さんが手伝うようになり、現在に至ります。
当初は日用品を始め様々な商品を置いていましたが、駄菓子はひとつもありませんでした。
三谷悦子さん
出典:asatan
「当時は、お店に駄菓子を置くなんて考えたこともありませんでしたね。私は田舎の育ちだから、駄菓子に触れた機会がほとんどなくて。まちのお祭り屋台で、クジの景品で見かけたくらいなものでした」。
駄菓子を置くようになったのは1978(昭和53)年ごろ。親の買い物に付いてきた子どもの「駄菓子は置いていないの?」という一言がきっかけでした。
「昔は近所に子どもが多くいて、親に連れられて来る子も少なくありませんでしたから、子どもが喜ぶ商品があってもいいのかなって。私もちょっと興味があったし」と悦子さんは笑って話します。
それからすぐに、20種類ほどの駄菓子を用意。「食べる以外の楽しみも」との思いから、外れなしのクジタイプで、極力安価に買えるものを中心に取り揃えました。
当初の悦子さんのお気に入りはソフトクリームの形をした、コーンが付いた小さな砂糖菓子。現在、店頭では販売していないお菓子ですが、牛乳のような甘さの砂糖が悦子さんの好みだったようで「こんなおいしいものが数十円で食べられるの!?」ととても驚いたそう。
■来てくれたからにはできるだけ楽しいひとときを
駄菓子の販売を始めてからは、学校帰りや休日には近所の子どもたちが多く訪れるようになりました。しかし、子どもたちがお菓子選びに時間を掛けることを知らず、困った時期もあったのだとか。
当初はなんといっても酒類が売れる時代で、夕方ごろには、さんろく街の居酒屋・スナックへお酒の配達に出向くことが悦子さんの日課でした。しかし子どもが来る時間と重なることも多く、時間のかかる子には十分な対応ができないこともあったそうです。
現在でもクジタイプは大人気
出典:asatan
数年後のある日、小さな女の子が買い物に訪れました。その子の目当ては、クジの当たり賞の大きなお菓子。何度も何度も挑戦しましたが、当たりが全然出なかったとか。
「10回ほど引いたところで、とうとう泣き出しちゃったんですね。ちょっと可哀そうに思えちゃったので、当たりの商品をおまけで渡してあげて。その時に、ふっと気付いたんです。こういう小さなお店だからできるサービスがあるんだなって。せっかくお店に来てくれたんだから、少しでも楽しく過ごしてもらいたいと思うようになったんです」と、当時を振り返ります。
子どもを喜ばせたいと悦子さんが始めたのは、子どもの名前を覚えることでした。「子どもたちは名前を呼んであげると、とっても喜ぶんですよ。このお店が“居場所”のひとつになれたって感じているみたいで」。
2006(平成18)年から始まったアルバムが箱いっぱいに
出典:asatan
悦子さんは名前を覚えるため、子どもたちがお店で過ごす様子を写真に収め、ひとつひとつに名前を入れてアルバムにしました。
2006(平成18)年から作り続けたアルバムの数は200冊以上に。悦子さんの頭には300人以上の子どもたちの名前と、楽しい思い出がしっかりと記憶されています。
「大人になった子が顔を見せに来ることもあって、当時の写真を特別に見せてあげることもありますよ。『あの時はあーだったね、こーだったね』って、当時を一緒に懐かしむの。宝物を見つめるように、目を輝かせて喜んでくれるのよ」。
■お店は子どもたちの”居場所”。だから、できる限り残し続けたい
現在は小さな子どもだけでなく、遠くから来る中学・高校生の姿も見られる三谷商店。
店内のベンチでゲームをしたり、部活帰りにカップ麺を買って食べたり、休憩場所として利用したり… 子どもたちは思い思いの時間を過ごします。
昔は好き勝手に過ごす子どもを叱ることもあったそうですが、“居場所を求めて来てくれる”と気付いてからは、自由に過ごしてもらっているそうです。
出典:asatan
「40年以上にわたって色んな子の成長を見るなかで、知らず知らずのうちに子どもたちから元気をもらっていました。次第に、私も会話に混ざりたいって思うようになって、話のタネにスマートフォンを購入しちゃったり。最初は使い方がさっぱりわからなかったんですけど、子どもたちがやさしく教えてくれるんですよ」と嬉しそう。
そんな悦子さんの今後の目標は「来てくれる子がいる限り、お店を続けていく」こと。
子どもたちが楽しく過ごせる居場所、大人になった子たちが帰ってくる居場所として、悦子さんは今日も笑顔でお店を開けています。
■【三谷商店】基本情報
出典:asatan
駄菓子はラムネ・キャンディ・ラーメン菓子・珍味など約100種類。なかでも売れ筋は『モロッコヨーグル』とか。
ほか、ポテトチップスなどのお菓子25種、カップ麺25種、アイス15種も取り揃える。洗剤・調味料などの日用品も。
店名:三谷商店
住所:旭川市3条通1丁目右3号
電話番号:0166-22-3582
営業時間:7:00~19:00
定休日:不定休
駐車場:あり(店舗横2台)
駄菓子店きしだ
■思いがけず始めた駄菓子屋経営
東光にある駄菓子店【きしだ】。小・中学校の近くにあるため、放課後になると子どもたちが走ってお店に行く姿が見受けられます。
出典:asatan
店内にはクリーニング店が併設されており、大きな棚で仕切られた駄菓子コーナーでは、湯浅美和子さんがカウンターに立ちます。
こちらの駄菓子店、もともとは岸田さんという方が経営していたそうですが、岸田さんが函館へ引っ越すことになったため、ちょうど住まいを探していた美和子さんの姉夫婦が建物を受け継いだのだとか。
湯浅美和子さん
出典:asatan
「駄菓子屋まで引き継ぐつもりはなかったんですが、岸田さんが『子どもたちが来るからお店、やってみない?』って。初めは姉がお店をやる予定だったんですけど、うまくできる自信がなかったみたいで… それならと、私が継ぐことにしました」と美和子さん。
お店の経営方法などを、岸田さんから直接教わる期間はわずか1週間。美和子さんは駄菓子屋に行った経験がほとんどなかったこともあり、商品の把握や、お客への対応がきちんとできるかなど、様々な不安があったそう。
時には「きっとなんとかできる。できなければやめればいいから」と、後ろ向きな気持ちになることも。
「お店に初めてひとりで立った日は、とにかく緊張しました。来る子どもが揃って『誰?』って言うんです。ひとり1人に『新しいおばちゃんだよ』って自己紹介して。それもぎこちない笑顔で(笑)。こんな私にも、子どもたちは優しく接してくれました」。
商品の場所を聞かれても答えられない、商品の値段がわからず会計に手間取る、といったトラブルもあったが、その場にいた子どもたちがひとつ1つ丁寧に教えてくれたのだとか。
「子どもたちに支えられたおかげで、今の私があるんです」と当時を振り返ります。
■子どもたちの成長を見守る仕事
やりがいのひとつとして美和子さんが挙げたのは、“子どもの成長する瞬間を見られる”こと。
「商品を戻す時はもとの場所に戻すんだよ」「手が届かないの? 代わりにとってあげる」など、子どもたち同士の優しいやりとりに、温かい気持ちになれるのだとか。
子ども専用の電卓。子ども同士で使い方を教え合う様子も
出典:asatan
とりわけ美和子さんの印象に残っているのが、子どもの初めてのおつかいに立ち会ったこと。それはお母さんがお店の外で待っている状態で、子どもがひとりでお菓子を買う、というものでした。
「お母さんがすぐそばにいるのに、すっごい緊張した様子で。親子で買い物するときの2倍くらい、じっくり時間を掛けていましたね。まだ計算ができないみたいだったので、お小遣いを見て『これとこれも買えるよ』って教えてあげて。無事に買い物を終えた後のちょっぴり自信のついた表情は忘れられません。岸田さんが駄菓子屋をやめられなかった理由が見えた気がしました」と美和子さんは嬉しそうに語ります。
■「駄菓子屋のおばちゃん」だからできること
美和子さんが目指すのは「子どもたちに頼られる存在」。
「たまに、困りごとの相談で来る子どももいるんですよ。『先生にも友だちにも言えないんだ』って言うんですけど、どれも友だちとケンカしたとか、失くし物をしたとか、ささいな悩みなんです。それでも私を頼って来てくれたんだから、ちゃんと話を聞いてあげようって。そして、しっかりした大人にならなきゃって、思ったんです」。
店内には子どもからの感謝の手紙が
出典:asatan
時には、お店の前の道路で遊ぶなど、危険な行動をする子も少なからずいるそうで、なかには注意をしても受け入れてくれない子どもも。そんな時に「きしだのおばちゃんが言うなら」と受け止めてくれるような、そんな存在でありたいのだという。
「先生でも、家族でも、友だちでもない、”駄菓子屋のおばちゃん”だからしてあげられることが、きっとあるはず。子どもたちの成長を後押しできるよう、これからも頑張っていきたい」と、美和子さんは力強く語ります。
■【駄菓子店きしだ】基本情報
出典:asatan
駄菓子はガム・キャンディ・チョコレート・スナックなど約250種類。人気は、3つのうちに1つがすっぱいガム『そのまんま』シリーズ。
ほか、ジュースや文房具、スーパーボールくじなどもある。
店名:駄菓子店きしだ
住所:旭川市東光4条2丁目3-12
電話番号:0166-39-3200(クリーニング店と共通)
営業時間:10:00~19:00(クリーニング店8:00~)/日曜日、祝日13:00~17:00
定休日:不定休
駐車場:あり(店舗横1台)
橋田商店
■65年以上にわたって駄菓子を販売する老舗
当麻町の商店街にある【橋田商店】。
町内で唯一の駄菓子屋さんです。
出典:asatan
優しい笑顔でお客を迎えるのは、橋田喜代治さん・しげみさんご夫妻。
このお店は1900(明治33)年に喜代治さんの祖父・伊三郎さんが始めたもので、当時は桶・ざる・ほうきといった荒物や、日用品を販売していたそう。
戦争の影響により一度閉店したものの、1954(昭和29)年の12月に玩具を追加し、再び営業を開始。翌年の6月には駄菓子も置くようになりました。
橋田喜代治さん・しげみさんご夫妻
出典:asatan
当時、喜代治さんは食べ盛りの小学校4年生で、親の目を盗んでお店のお菓子をこっそり食べたこともあったそう。お気に入りはあんこがびっしり入ったドーナツだったとか。
「あの頃は駄菓子を扱うお店が町内に6軒位あったんですけど、種類はここが一番多かったと思います。夕方になると子どもたちがワーッと来て、入れ替わり立ち替わりで常に30人位来ていたんじゃないかな」と懐かしそうに思い出します。
そして、喜代治さんがお店を継ぐことを意識し始めたのもこの時期でした。
■母の働く姿を見て継ぐことを決意 生計を支えるために様々な仕事も
「母が2日に1度、お菓子の仕入れに行っていたんです。大っきな風呂敷を2、3枚持って、旭川駅前まで行くんですね。製造会社や市場を1日中まわって、帰りには背中にも両手にもいっぱいの商品を抱えて。僕が長男だったっていうのもありますが、母のそんな姿を見て、このお店を継がなきゃって思う気持ちが強くなりました」。
高校を卒業した喜代治さんは“修行”として、駄菓子・玩具の卸売を行なう会社に就職。時代の流行を掴む、仕入れる量を見極めるなどの商売の様々なノウハウを約15年掛けて身に付けます。
お店に戻ってきた頃には駄菓子と玩具が主力商品。玩具は時期によって売れ行きが変わり、駄菓子は単価が低いことなどから、店番をするかたわらで、様々なアルバイトをしていたそうです。
店とともに引き継いだ祖父手作りの小銭入れ
出典:asatan
「農業や大工など将来を見据えて、とにかく働いて、たくわえを増やしました。ついこの間まで新聞の配達もやっていましたね」。
経営が続けられる目処がついたため、現在は1日中店番をする喜代治さん。
子どもたちからは「はしだのおじいちゃん」と親しまれています。
■駄菓子屋は子どもの文化のひとつ
これからお店をどのようにしていきたいかを尋ねると「変わらずにこのままやっていきたい」との返答が。
「お店をなんとか続けて行くために、がむしゃらに働いていたけど、今振り返ると、子どもたちの笑顔を見たいって気持ちもあったのかな」と思いを話します。
当麻町に限らず各地で子どもが減っている昨今。高齢化もあり駄菓子屋の数が減少していることに寂しさを感じている様子。
出典:asatan
60年以上にわたってお店を見てきた喜代治さんは「駄菓子屋は子どもにとって大切な“文化”みたいなもの」だと言います。
「初めての体験とか子ども時代の思い出って、ささいなものでもずっと良い記憶として残っているでしょ。自分でお菓子を選んで買う、小さなお店のなかで友だちと冗談を言いながら食べる、お店の人と学校でのできごとを話す… そんな機会と思い出を提供するのが駄菓子屋の役割なんだと思っています」。
現在は大人になった子が生まれた赤ちゃんを連れて訪れたり、近所の幼稚園から「駄菓子屋ツアー」として子どもたちが買い物に来ることもあるとか。
憩いの場・成長の場として、地域の人々に愛されていることが窺えます。
子どもたちからお礼の手紙をもらうことも
出典:asatan
喜代治さんの目標は「父と同じく100歳までお店に立つ」こと。
1軒だけの町の駄菓子屋さんはこれからも変わらず、町の子どもたちの成長を見守ります。
■【橋田商店】基本情報
出典:asatan
駄菓子はガム・ラムネ・チョコレート・珍味・スナックなど約260種類。人気は当たり付きのラーメン菓子『ヤッターメン』。
そのほか、玩具・文房具・雑誌、夏場には花火も取り揃える。
店名:橋田商店
住所:上川郡当麻町4条南3丁目6-26
電話番号:0166-84-3155
営業時間:7:00~17:30
定休日:不定休
駐車場:なし
asatan公式アカウントです。
旭川とその周辺地域に関連するイベント、グルメ、観光、くらしに役立つ情報などなど、ドシドシご紹介しますのでお楽しみに!