幌糠駅
旧留萌駅から上ること3つめ、幌糠の町からはちょっと外れた位置にあるだるま駅、それが幌糠駅だ。
【だるま駅】廃車になった貨車や車掌車を、駅舎に改造転用した駅舎のことを貨車駅といい、車輪がないことから、足のない「達磨(だるま)」に例え、そんな通称になった。
駅舎(貨車)のカタチや色は本記事前編に掲載の大和田駅と同じ。
同時期に一緒に工事されたものだろう。
内部は清掃が行き届き、整頓もされていた。
地域の方々のマナーの良さが伺える。
駅構造は単式1面1線。
だが、かつては交換可能な相対式2面2線。貨物の側線もあったそうな。
そんな立派なインフラがあったとは、昭和の留萌線が栄えていたと情報として知ってはいても、現在の閑静な景色からは想像がつかない。
6月上旬現在、駅舎は以前のまま残っている。
今回の廃線によって駅名を削除された駅舎もあるが、幌糠駅の文字は消されていなかった。
なお、待合室への扉は施錠されている。
駅舎の裏手。
バリケードが施されホームに立ち入ることはできない。
付近には線路に沿うように、国道が走っている。
鉄路から道路へ。時代の変化を思わせる。という国道さえ、近年完成した留萌深川自動車道の影響で、以前に比べれば、通行量は激減している。
旧幌糠駅スポット案内
峠下駅
周囲はいかにも山間といったローケーション。
よくぞこんなところに線路を敷いたなと感動的でもある。が、地域に貢献したにもかかわらず、今では利用が少ないという理由で廃線となる、なんと寂しいことよ。
昔の映画に出てくる、田舎の小学校といった雰囲気の駅舎。
国鉄からJRに生まれ変わったその当時に取り付けたであろう、それを誇示するかのようなロゴの大きさが印象的。
駅舎内部。
すっきりと整頓されているが、多分切符が販売されていたであろうカウンターに、かつては有人駅だったことが見て取れる。
駅構造は千鳥、相対式2面2線。
廃止決定時においては、留萌ー深川間の途中駅で唯一の交換駅だった。
画像、停車しているのはキハ54系。筆者が具体的に「鉄」に触れるようになった頃から、留萌線といえばキハ54系というイメージが強い。我が愛するキハ40形とともに親しみ深い国鉄系車両だ。
が、幼い頃の思い出として忘れられないのが、オレンジとベージュのツートンカラーの車両(調べてみるとキハ56系という車両のよう)。海水浴に車で出かけたときなど、これに遭遇したときのハイテンションといったら。
当時は鉄道とは縁遠いところに住んでいたので、列車を見ただけで興奮しただけかもしれないが、あの車体の色は忘れられない。
停車するのは1両か2両という割に長いプラットホーム。
また、2線のほかにも引き込み線があり、なかなかに敷地は広い。時々、保線車両が停まっていたりと、人のほどんどいない山奥にありながら鉄道としての機能を果たしていた。
現在はというと、もちろん駅舎は閉鎖。入り口がべニアでふさがれている。
駅名だけを取り外し、なぜか「JR」だけを残している。
以前は駅舎の中を通らなくても、駅舎の横からホームに出ることはできたが、ご覧のようにバリケードが。
なのでホームや駅の向こう側の様子は、うかがい知ることは不可能。
あ、駅名標は取り外してありますな。
でも、物置の裏からはホームに行けちゃうもんね。
いえいえ、だからといってホームに入ってはダメですから。
良識ある者としてマナー(ルール)は絶対に守るべし。
それにしてもなぜここを閉鎖しない?
旧峠下駅スポット案内
恵比島駅
観光客には「明日萌(あしもい)駅」として知られる駅。NHKのドラマ「すずらん」のロケ地として一躍有名になり、廃線ブーム以前から、ちらほらと人が訪れていた。
明日萌の駅舎と駅長官舎(左)、および画像には映っていないが駅長官舎の左隣にある馬小屋は以前のまま。特段閉鎖されている様子はない。
それもそのはず、これは駅にあらず。あくまでもロケのセットであり今や町の観光資源。当面はこのままなんだろうと思う。
そもそも、ここは恵比島駅といって駅舎は右側に。
上画像が本当の恵比島の駅舎。
もともとは貨車を使っただるま駅だったが、ロケ地の雰囲気に合うよう板張りでカムフラージュされ、現在もその状態のまま保存されている。
駅、プラットホーム。
セットの駅名標と、ほんとの駅名プレートが競合している(笑)
それにしても、廃線廃駅ならまだしも、列車が実働している駅をセットにしてロケをするなんて、NHKもやることがすごい。当時、JRもそのために臨時で列車を動かしたとか。
駅の開業は、留萌駅などとともに1910年(明治43年)。
駅構造は単式1面1線。
だが、かつては単式と島式(片側)による2面2線と、前掲「幌糠駅」同様に、栄えていた歴史がある。
人が立ち寄ることのない長いプラットホームに、かつての規模が想像できる。
で、現在はごらんの通り。
ホームや線路に立ち入ることができないが、明日萌駅舎のための見学スペースが設けられている。これは沼田町の観光施設になっているという事情があるからだろう(内部の見学は町へ申し込みが必要)。
ちなみに「恵比島」の文字は残っている。
旧恵比島駅スポット案内
真布駅
上は、廃線前の風景。
背景に田園が広がるこの小さな木造駅が「絵になる」と、しばしば鉄目線以外でもカメラを向けたものだ。
開業は1956年(昭和31年)と、明治時代に開業した他駅より断然新しい。石狩沼田ー留萌間では、歴史上、唯一旅客のみを目的に開業している。
駅構造は単式1面1線。プラットホームは板張りだ。
石狩沼田駅ー真布駅間の風景。
たまに通る列車の音。
地域の方々も、今は、その音を聞くことはない。
現在はバリケードが施され、駅舎に立ち入ることはできない。
駅名標は取り外され、プラットホームに上がるためのスロープも解体されている。
踏切の警報器、遮断機ももちろん撤去されていた。
旧真布駅スポット案内
石狩沼田駅
にわかに留萌線の終着駅となった石狩沼田駅。
駅自体は今回の一件で廃駅となったわけではないが、これまであった留萌との往来がなくなり深川のみとなった、言ってみれば半分廃駅、ということで現在の様子を紹介したい。
駅舎は鉄骨むき出しの、なかなかにユニークなデザインだ。
何年か前に訪ねたときに「改築工事予定は中止」といった貼り紙があった。当時は古い駅舎を改築する予定だったものの、廃線が決ったわけだし今さら金をかける必要はないよね、ということだったのか。
開業は、留萌駅同様、1910年(明治43年)。
駅構造は単式1面1線。だが、画像をみると右側に何かありますな。
わりと最近まで(といっても20年前だけど)単式・島式複合型2面3線の列車交換可能駅だった。
で、話は変わるが、カメラは留萌方向(廃線区間)だ。小さくてよく分からないが、その先には車止め(列車が進めないようにする設備)が設置されている。
案外遠くに設置するんだな。終着駅と車止めはセットと思っていた筆者である(増毛駅のイメージが頭にある)。
この線路、よーく見ると真ん中からこっち側(深川方面)が光っていて、向こう側(留萌方面)が錆びている。
つまり、列車はここで折り返しているということだ。
廃線を感じさせる。
駅舎内部。現在は無人駅だが、改札口やきっぷの販売所だったらしきものが残っている。
昔はそれなりに賑わっていたんだろうな。
列車は概ね1日7往復。
その気になれば、8月の夜高あんどん祭りも旭川から行って帰って来れる。
過ぎ去りし「あの日」の名残が。
利用者と思われる方々による寄せ書きがあった。
鉄道が暮らしの一部となっている人々の思いは深い。
石狩沼田駅から留萌方面へ、とある踏切に来てみた。
前述した車止めがこれだ。
今時、間違えて沼田駅を通り過ぎちゃった~なんてことがあるはずもないのに、鉄道法の都合か何かですかね、こんな仰々しいものを取り付けるのは。
ともかくは、何より廃線を物語る風景。ちょっと胸がきゅっとなる。
石狩沼田駅スポット案内
探訪後記
今回、廃線区間を巡ってみて、何より象徴的に感じたのがこの看板だ。
列車は通りません。
廃線という事実を突きつけるメッセージ。
留萌本線は幹線道とほど近い上、踏切も多いのでこうした光景をよく見かけるのである。
踏切使用停止だから列車が通らないというのも、状況説明になっているような、ないような・・・?
廃線につき列車は通りません、か、列車は通らないので踏切はありません、かな。
踏切は撤去されているのに「踏切注意」とはこれいかに(笑)
道路標識は国交省の管轄だからこういう事態になっている。
廃線を知らないのか、あるいは知ってても体が自然にそうなるのか、写真を撮っている束の間でも、一時停止する車が結構多かった。
また、道路(自動車)からの視線で印象深いのが鉄橋。
留萌国道は線路を留萌川が交錯しているので、こうした光景が多い。
いつかは撤去されるのだろうが、北海道発展に寄与した鉄道遺構がなくなるのは寂しいね。
美味しいもの、旨い酒を味わう時間が何より大事。
不惑の呑兵衛を目指すべく、きき酒師の資格を取得。
・SSI認定FBO公認 きき酒師
・日本酒WEBメディア SAKE TIMES ライター